テーマ:お隣さん

ナイト

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「ああ。名前、なんていうんですか?」
脈絡がない。
「え? 南ですけど?」
既に彼が知っているはずの姓を名乗る。すると拓馬くんは器用にも押し殺した声のままクックッと笑った。
「いえ、そうではなくて」
下の名前だろうかと思い、「千鶴です」と名乗る。拓馬くんは耐えきれなくなったのかアハッと一声大きく笑い声を上げると慌てて口を抑えた。
「そうじゃなくて。千鶴さんの猫くんの名前です」
さっそく名乗ったばかりの名前で呼ばれるから耳や頬や首筋まで熱くなる。夜でよかったと胸を撫で下ろす。しかし、なぜ急にナイトのことなど聞くのだろう。そう疑問に思わなくもなかったが、勘違いの照れ隠しもあってなにか言葉を発していたかった。
「ナイトです」
「ああ。夜の色ですもんね」
「え? なぜ? ナイトに会ったことなんて……」
「え? 何度も会っていますよ。僕がいつもどの猫と話していると思っていたんですか?」
「そんな……だって……」
そんなこと、あるわけがない。人違いならぬ猫違いだ。おおかた、北川さんに私が黒猫を飼っているとでも聞いたのだろう。それで黒い野良猫をナイトだと思い込んだに違いない。
「かぎしっぽで、白いハートがついている子ですよね?」
そう言いながら拓馬くんは自分の喉仏の辺りを指さす。
それはまさしくナイトだ。でも、なぜ?
「さっきも千鶴さんの部屋に駆け込んで行きましたよね?」
あの黒い影のことだろうか。だけどあれは――。
私が黙していることを疲れているとでも感じたのか、拓馬くんは「引き留めてごめんなさい」と謝り、「おやすみなさい」の言葉を残して家の中に引っ込んだ。
私は月明かりすらない暗闇に向かって「おやすみなさい」と小さく返した。そして、ナイトの姿を思い浮かべても涙が溢れなかったのは初めてだと気付いた。

「おはようございます」
休みの日でも拓馬くんはいつもと同じ時間に縁側にいる。それを知っている私も同類ではあるのだが、私の場合は元からの習慣ではない。拓馬くんにだらしないと思われたくなくて休日も早起きをするようになった。しかしこれがすこぶる調子がいい。疲れているからといって、ただ長く寝ればいいというものではないらしいと最近になってようやく気付いた。
「おはようございます」
挨拶を返しながら、手招きをする。
拓馬くんは自分を指さしながら首を傾げる。
私は頷く。
拓馬くんが庭と庭を隔てる柵のところまでやってくる。
私もゆっくり歩み寄る。
「なんですか、それ?」

ナイト

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