テーマ:お隣さん

ひとりぐらし二役

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 心の中ではいろいろと言いつつも、実際の私は何一つ言葉が出てこない。何て言えばいいんだろう。どうすればこの場をうまく誤魔化すことができる……?
「あ、姉が――」
 私の口から咄嗟に出てきた言葉はそれだった。目の前の人は不思議そうな顔をしている。
「姉が、仕事帰りになるといつもお腹を空かせていて。だから、いつも騒いでいまして。騒がしくしてお隣さんには申し訳ないと思っています……」
 ちなみに私は一人っ子である。姉なんていない。
 しかしそんな事情、たいして交流も無かったただのお隣さんが知っているはずもない。
「お姉さんと二人暮らしだったんですね、知りませんでした」
「はい……」
「一人暮らしだと寂しいから、姉妹で一緒に暮らしていると楽しくていいですね」
「はい……」
「あ、長々と引き留めてしまってすいません。僕っておしゃべりでして」
「はい……」
 そこで会話は終了した。お隣さんと別れた後、私の心臓は階段を一気に駆け上ったみたいに早く打っていた。
 なによ、私の姉って。誰よ、それ。どういう嘘なの……。
 そう思いつつもなんとか誤魔化せたかと思ってホッとする。昨日のアレは、私が喋っていたんじゃないと思われているのならいい。どうせお隣さんとそんなにお付き合いしていないし、嘘がバレることも無いでしょう。
 その時はそう思って、軽い足取りで出かけていった。

 それなのにどうしてだろうか、その後からなぜかお隣さんの彼とはよく会うようになった。
 たとえば家までの帰り道。早く家に帰りたい一心で前だけ見て歩いていると、さも当然であるかのように誰かが隣に並んできた。びくっと肩を揺らしてその人を見ると、それはお隣さんだった。
「こんばんは。僕も今、帰りなんです。……今日の晩御飯はそれですか?」
「は、はい……」
 持っていたスーパーのビニール袋を指さされて、慌てて背中に隠す。あんかけ魚フライ弁当。お総菜コーナーのおばちゃんの愛情がスパイス。
「そのお弁当、おいしいですよね。僕もよく買います」
「はい……」
「そうだ! この間おいしいお弁当屋さんを開拓したんです。それは駅の向こう側にあるんですけど――」
「はい……」
 はい、としか返事をしない私相手では面白くもなんともないであろうに彼はずっと隣で話しかけ続けた。自宅に入った瞬間に、疲労感と申し訳なさで力が抜けた。

 他にはゴミ出しの時。うちではマンションの方でゴミ出しを管理してくれている。そのために夜中に専用のごみ置き部屋にゴミ出しに行くことも出来るのだ。朝にバタバタするのが嫌で、わたしは出せるものは夜のうちに出してしまう。その時に、外から帰ってきたお隣さんとばったり出会った。

ひとりぐらし二役

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