テーマ:お隣さん

ひとりぐらし二役

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読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

 扉が閉じるまで。外界との境界がはっきりと閉じられた瞬間に、私は履いていた靴を脱ぎ捨てた。
「ただいまぁ!」
 ずっと肩に入れていた力を抜いて、持っていた鞄もフローリングの上に放り投げる。そしてほっぷ、すてっぷ、じゃんぷ。自分のことも宙に投げる。
 ぼすんとソファが軋んで、私を包み込んでくれる。
 ああ、なんて幸せ……。家がやっぱり一番だわ。
 手を伸ばせば、折り畳み式のサイドテーブルに飲みかけのペットボトルがある。それを寝ころんだまま一口。炭酸のすっかり抜けた甘すぎるジュースが、おいしくないのに心地よい。自分の身体からも炭酸が抜けていくような気がする。
 外に出た瞬間、私の中に針金が埋め込まれたようにガチガチになってしまう。ずっと誰かに遠隔操作されているロボットみたいになる。出来るだけ模範通りに規則通りに。余計なことは一つもしない。全自動的に動く。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけど、すごく疲れてしまうことだけは分かっている。
「あんたは内弁慶だからねぇ……。お母さんはあんたが外で立派にやっていけるか心配」
 そう言ったのは母親だった。
 四階建てのマンションの二階、ワンルームユニットバス付。ここで始まった一人暮らしは、それなり上手くいっていると思う。ただ、愚痴を言う相手がいないことがつらい。大きいことから小さいことまで不満も愚痴も溜まっている。
「もう、やってられなぁい! 働きたくない! 動きたくない!」
 ソファの上で泳ぐように両手両足をばたつかせる。
 私がものすごい大金持ちの娘だったらなぁ。お手伝いさんに、朝から晩まで面倒を見てもらいたい。フライドポテトを食べているだけで一日を過ごしたい。
「もうっ! お腹空いた! おいしいもの食べたい!」
 お腹に手を当てると、腹が減ったと訴えるようにぐぅぐぅ鳴った。最近はコンビニ弁当か冷凍食品ばっかりだ。お母さんのごはんが食べたい。お腹が空くと、とたんに寂しくなってしまう。ああ家に帰りたい。ここも私の家だけど、でも家に帰りたい。
「私をいったい誰だと思ってるのよぉ! この私を待たせないで! 誰でもいいからごはん持ってきて!」
 部屋には私の他に誰もいないのに、当たり散らすように怒鳴る。空しくわんわんと自分の声だけが響いて、ふぅっとため息。
 一人暮らしをするようになってから、一人言が増えた気がする。やだなぁ……。こんなの絶対、誰にも見せられないし聞かせられない。

ひとりぐらし二役

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