テーマ:ご当地物語 / 架空の町

架空の町

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 そしてそれから、語り手は「バス停に立っている」ことに気づき、架空の町を探して「バスに乗った」
そう語られたところで、「靴千個分」の直進が終わる。描かれた道にも、僕が通った道にも、曲がり角はなかった。そして、同じように、目の前には「古びた電気屋」がある。できすぎていると思った。描かれている道程はでたらめだというのに、僕は導かれている。あの原稿用紙を読んでしまったために、僕が無意識に補完しているのだ、きのう読んだ、そしていま読んでいる道のりに合うように、僕自身が動いているのだ、そう思った。これは僕の意志なのだと。架空の町を探し、原稿用紙をなぞるように行動しながらも、文字と自分が一致していくのがこわかった。だが、僕はもうあともどりできなかった。僕はいま、ここまで逃げてきたのだ。そして、逃げることをやめて、生活にもどることは、僕が望んだ逃げの形ではない。はじまりではない。この先にはじまりがあるのだ、架空の町にあるのだと、虚勢を張って、「古びた電気屋」を「左に曲がった」
 そこから僕はまた歩き、道を折れ、また歩いた。すり減っていたスニーカーのソールに穴が開いて、そこから砂利が入り込んでくる。暑さの下で、何度も靴を裏返した。僕は「シャッターが下りた店が軒並ぶ商店街」を抜け、「犬のように斑な染みが抜けようのない路地」に入り、また歩き、また曲がり、どこにでもあるような景色を再確認するように歩いた。図書館の前を通るときは、同僚に見つからないように祈った。
 僕はきっと、出口へとつづかない道も含めた、迷路のすべての道を歩いたのだろう。彼が僕にそうさせたのだろう。僕は、知っていると思い込んでいたこの町を改めて知っていった。

原稿用紙三百枚を読むだけの時間よりも、もっと長い時間が過ぎた。一字一句を見つめ、演じているかのように読み進めた。きのうと合わせて彼の文章を読むのは二度目だったが、体に還元することを前提とした読書ははじめてで、新鮮だった。
そして読み終わった。
もうめくる頁がない、原稿用紙が終わったその地点には外灯がなかったが、僕は語り手の記憶に近づこうと目を閉じていた。決して崖ではない、なにかが途切れた縁に僕も立ってみようと。目を閉じながら、途切れた先を見ていた。体のなかから言葉が出てくるのを待っていた。
どれくらい経ったのかさえわからない時間のなかで、最後に読んだ言葉が思い返すようにこぼれた。
「進め」

架空の町

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