テーマ:ご当地物語 / 岐阜県岐阜市

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「あー、それでか。君が上を探している間に、彼女が下を探しに行ってたんだね」
 彼女の足元が汚れていた理由がそれでわかった。あちこち探した後で少年と山頂で合流したのだろう。
「乗り場に落とし物として届けられていてもよさそうなものだけどね。乗り場では確認したの?」
「ええ、今のところ届いてませんでした。通り道もずっと歩いてみたけど、駄目だったわ。ロープウェーでおじさんと会った時は結構、がっかりしてたのよ」
「学生証を再発行してもらったらどうなの?」
「見つからなければ、そうするしかないなー・・・」学生は諦め口調でそう言った。
「そうね。もう十分探したと思うわ。乗り場や下の博物館に連絡先を渡して、出てきたら連絡をもらうことにしようよ」と女の子が言った。
 下りのロープウェーは滞留していた客を皆乗せたので、上りの時と違ってひどく混雑していた。乗り場でメモを渡して博物館まで行く間に、三人は簡単に自己紹介をした。大学生がトオル、女の子がアキだった。トオルは豊橋出身で、今春大学近くのアパートに移ったばかりだった。アキは柳ケ瀬のカレー屋の娘だった。栄吾は商社マンのサワノと名乗っておく。実際は商社の関連会社だったが、それはこの際どうでもいい。
「君らも昼食はまだだろうから、私と一緒にどうだい。奢ってあげるよ」博物館に寄った後、栄吾は二人に言った。
「会ったばかりで、それは申し訳ないな」
「いい提案だと私は思うわ。何なら、私の店に来ない?」
「それはいいね。柳ケ瀬は一度行ってみたかったんだよ」
「トオルもいいよね。そっちも初ヤナガセだったよね」
トオルが頷いたのでそれで決まりだった。博物館前から柳ケ瀬を通るバスに乗った。バスを降りた途端にアキの足取りが軽快になった。いかにも街の空気を吸い慣れた感じで柳ケ瀬のアーケード街をどんどん歩いていく。
 アーケード街は町によって随分印象が違う。知る範囲では吉祥寺のアーケード街が一番お洒落だったし、高円寺や大阪の空堀商店街も悪くなかった。何しろ昔のトラウマがあるのであまりに錯綜したアーケード街は苦手だったが。それでは柳ケ瀬のアーケード街はどうだろう。近年の商店街の傾向を反映して衰退の気配が漂うのは致し方ない。それでもここが町の真ん中だと思わせる力を栄吾は感じた。小さなカフェの英国紳士然としたマスター、履物が密集した店内を避けて店先に陣取る老店主、花と競うかのように原色のシャツを来た花屋の若い女、その誰もが寸分違わず町の真ん中にいる。そして揺るがない。

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