さよなら円盤
「ぼくの地元、ここの近くなんや」
ドライバーズ・ハイの余韻をひきずっている店長は、あたしとはうってかわって元気だ。
「来る途中、このあたり、なーんもなかったやろ」
ろくに景色など見る余裕もなかったけれど、言われてみれば、市街地に差し掛かるまでは、両側が切り立った山道やトンネルばかりだったような気もする。
「映画館もない、レコード店も本屋もない、テレビのチャンネルもない、もちろん当時はインターネットもないし、ここいらで娯楽と呼べるもんはほとんどゼロやってん」
吐き捨てるように言い、
「そんときのぼくにしてみれば、就職して出てきた神戸は、夢の国やったなぁ。ちっちゃい頃にほしくてもどこにもなかったおもちゃや、存在すら知らんかったフィギュアもごろごろあるし、映画館もレコード店も本屋も、歩ける距離んなかに二軒以上……ネバーランドやった」
遠い目をして話す店長は、たしかに、大人になってからようやくネバーランドにたどりついた、ピーターパンなのかもしれない。ティンカーベルの道案内がなければ、ネバーランドへの道は遠い。店長が、腕時計をみてにやりと笑った。
「来るでっ!」
開場を告げるアナウンスがコンサートホールに響き、三つの入り口から、人がどっと流れ込んで来た。
若いお母さん、お父さん、泣きわめく子ども、走り回る子ども、奇声をあげる子ども、すっ転ぶ子ども、同じ服を着た双子、と思ったら三つ子。
あの山道の続く地域のいったいどこからこんなに現れたのかと思うくらいの、人、人、人! 気づくと、窓越しに見える駐車場は満車のようだった。となりのグッズ売り場も、即売コーナーにも、あれよあれよといううちに人だかりができた。めんどくせえ、なんて言っていられる場合じゃない。
「ほら、このCD、新しいやつやで」
「あ、これや。買お言うてたの」
「DVDついてるの、どっち?」
お客さんに対応にいっぺんに追われ、あたしは商品を渡したり、探したり、説明したり、お金を受け取ったり、お釣りを渡したりと、目が回るくらい立ち働いた。何の特典もついていないのに、飛ぶように売れた。開演前の段階で売り切れた商品さえあった。開演を告げるアナウンスが入ると、蜘蛛の子を散らしたようにお客はホール内へ消え、ややあって歓声と熱狂と拍手が、防音扉の外まで響いてきた。
「ええ仕事やな」
店長が、扉に向かって仁王立ちでつぶやいた。
「そうすね」
さよなら円盤