東京クロワッサン
「ねえってば」
「はい…」
わああ!と、講義堂の中に叫び声が響いた。僕は人より驚きやすいのだ。いや、誰であっても驚くはずだ。
「久しぶり」
久しぶり、じゃないよ。そこにいたのは、茶色がかった黒髪で、鼻が少しだけ潰れた切れ長の目をしたあの子が座っていたのだ。
「久しぶり…って、え、この大学だったの?」
「同じ大学だったんだね。びっくりしちゃった」
聞いてないんだ。この人はなんとなく、調子を狂わされるなあ。
「う、うん。全然知らなかった。学部どこ?」
「経済」
「え、俺もだ」
切れ長の目の子はにやっと笑って、すごい、と小さく微笑んだ。少しだけ、僕はドキッとして目をそらした。それと同時に、未だに僕はこの子の名前を知らないことに気が付いた。
「ねえ、本当にごめんだけど…名前、なんだっけ?」
切れ長の目の子は、先ほどよりも大きくにやっと笑った。
「未来」
「え?」
「やまもと みらい」
「未来、か」
聞いたはいいけど、僕はしばらく黙ってしまった。よくわからないけど、ドキドキしていたのだ。
「ねえ」
僕、だよな、話しかけてるの。
「ねえ。この後、ひま?クロワッサン買いすぎちゃって、誰かと食べたいんだ」
え、と僕はまた黙りこくってしまった。未来は、まだニヤニヤと笑っていた。
「キミの家、大学から近いでしょ?遊びにいかせてね」
まばたきを忘れて、しばらく僕は未来の顔を見つめていた。教授が講義堂に入って周りのざわつきがなくなった時に、僕は思い切り大きな声で「おう」と叫んでいた。くすくす笑うやつと、怪訝そうにこっちを見てくる顔がちらほら見られた。それでも、悪い気はしない。
未来が家に来る、それだけだけど。少なくとも僕は、それだけで東京にきてよかった。そうぼんやり考えながら、机に伏せて窓の外をみやった。
今日は木曜日だった。最高の日だな、木曜日。
ようやく、サクラが満開になり始めていた。
東京クロワッサン