東京クロワッサン
「別に」
「そんなもん?」
「いや、楽しくないわけではないけど、それ自体がいいか悪いかは正直わかんないな」
じゃあ、毎日なんのために生きてるの?と、ノドまで出かけて飲み込んだ。僕は、毎日なんのために生きてるんだっけ?という疑問を、忘れかけていた自分が急に恥ずかしくなったのだ。
「うーん、楽しくはないな。やっぱり。でも、高校に行ってたときよりも意味があることをやっている感じはある」
「意味って?」
「わかんない」
わかんないんだよな、みんな。それでも、僕にとってはこいつの言うことが意外でならなかった。昔から楽しいことしかやらない、めんどうなことは放っぽって遊びに行こうぜ!というやつだったから、そもそもこんなに仕事が続いていること自体も不思議だったのだ。
「でも、大変だなと思うことはたくさんあるわ。金をもらうって、案外甘くみてたかもしれない」
「ほう」
「好きなことだけやってりゃ最高だけど、相手がいて、金をもらって、仕事して。いい仕事ができたときには、すげえ喜ばれるんだけど、だめなときはすげえ怒られるわけ。当たり前だけどさ。でもなんか、それってすごく自然なことだなと思ったわけ」
「そんなもんなのかねえ…やりたいこと、やれないのって微妙じゃない?」
「まあね。でも、好きなことから離れるってのも、ある意味好きでいることの一つなのかもな。仕事してたら、やりたいこともやれなくなったことは否定しないけど。友達と遊ぶことも、バイク乗ることも、彼女と出かけることも、前より楽しくなった気がするわ」
そう喋るやつの顔は、なんでか知らない人みたいに見えた。よくわかんないな、と僕は寝転がった。
わかんないことはないんだ。ただ、なんとなく感じる寂しさを無視できなかった。前みたいにファミレスでダベって、あほみたいに笑っていた時間はもう戻ってこないんだと、ふと訪れた”大人”を受け止めきれないだけなんだ。17歳で、早生まれで、ヒッピーで。それでも、僕は18歳になるらしい。どうやら、それはだけはわかっていたみたいだ。
家に帰ると、僕は真っ先にソファに座ってテレビを眺めていた母親に向かっていった。夜にでかけて帰ってくることの少なかった僕に多少は驚きもしつつも、すぐに顔をテレビに戻して「おかえりー」と呟いた。
「美容師」
「なに?」
「美容師になりたいって言ってたけど、あれ、やめる」
そんなこと言ってたかしら?と母親は首を傾げた。首は傾げてもテレビを見ているあたり、本当に図太い母親だなと思う。
東京クロワッサン