東京クロワッサン
「好きなことをやれる人生を得るために、やりたくない今をどうして許さなければいけないんだ?」
僕の高校時代のテーマは、「今を生きろ」だった。たぶん、映画かなんかの受け売りだったと思う。
「ねえ」
たぶん、隣のクラスだろうか。というか、僕に話しかけているんだろうか?話したこと、あったっけ?名前、なんだっけ…目の前の女の子に多少どぎまぎしながら、僕は黙ったまま椅子から彼女を見上げていた。
「ねえ、って」
「なに?」
「卒業したらどうすんの?」
え?とかなり大きな声がでた。何人かがこっちを振り返っていたから、たぶん相当うるさかったんだと思う。そうでなくても、僕は驚きやすいのに、突然のことで僕はびっくりしきっていたんだろう。
「なんで、いきなり?て言うか、ごめん。話したことあったっけ…」
突拍子もない質問の相手は、未だに名前がわからないけど、おそらく隣のクラスの女の子だった。茶色がかった黒髪で、鼻が少しだけ潰れているがそんなに不快感を覚えさせないのは、恐らく切れ長の目に隠しきれていない眼力のせいだろう。
「なんで?」
「なんで?って…結構プライベートなことだし。ズケズケっとくるもんだなあって…しかも、そもそも喋ったこと、あるっ…け?それで、あの、なに?」
「だから、卒業したらどうすんの?てば。進学?就職?なんも考えてなさそうじゃん、キミ」
僕はあんぐり口を開けて、誰のことを言っているのか分からずしばらくその子の顔を眺めていた。ようやく "キミ"が指しているのが、"君"であって、かつそれが"僕"であることが分かったときには、なんでか腑抜けた笑いが漏れていた。
「いや、まあ。考えてはいるけど、そんなこと話すのもなんか気がひけるって言うか…」
「なんで?ワタシと喋ったことないから?」
「いや、そういう…うーん、そうだね。名前、なんだっけ?」
そう言うと、その子はあからさまなため息をついて僕を睨んだ。睨むってまさにこういうことだな、と生唾を飲み込ませられるような剣幕であった。
「つまんないやつ」
卒業したら、どうするの?
別に、まだ17だし。早生まれだし。今日の晩御飯だってわからないのに、どうして卒業した後のことなんて考えるんだろう?そのままでいいじゃん。
ヒッピー、いいよなあ。「今を生きろ」でしょ。誰が言ってたんだっけ。
名前わかんないけど、もったいないよなあ、あの子。今が壊れることだってあるかもしれないのに、どうしてわざわざ無茶なことするんだろう?つまんない、か。何も考えてない、ね。
東京クロワッサン