テーマ:一人暮らし

住む記憶

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「ああ・・・そうか。よかった」
「意外とあっさり信じますね」
「いや、混乱してるだけだと思う」
「変な話なんですけど、僕今寂しいんですよね」
「寂しい?」
「見えなくなっちゃったんです。もう二週間近く見てないんですよ。最後に見たのが女性で、それ以来全く」
「女性?」
「長い黒髪の綺麗な人でした」
 あの後どうなったのだろうと想像して、言いながらニヤついてしまった。しかし、近藤さんは黙った。それは予想していた反応ではなかった。現実は、僕の想い描いていたものとは違ったのかもしれない。嫌な別れ方でもしたのだろうか。
「彼女さん、だったんですよね・・・?」
 僕の言葉に、近藤さんは少し笑って首を振った。
「全然違うよ。それ多分、雪って子のことだと思う。あの子人気あってさ、俺なんか全然相手にされなかったって。確か社会人の彼氏がいたんじゃないかな。そういう話きいたけど」
「え?でも・・・」
 じゃあ、あの窓のことは?部屋の窓に書かれた文字は?誰も見ていない?誰も知らない?誰にも知られることのないまま、あの部屋だけが・・・・・
「あの部屋だけが覚えてたんだ」
「え?」
「だからか・・・」
「どうしたの?」
「近藤さん」
「はい」
「やっとわかりました」
「何が?」
「あの部屋にあなたの記憶が住み続けてた理由が」
 
 閉店の時刻になり、僕らは店を出た。僕は駅まで近藤さんを送っていくことにした。
「圭太くんの前にあそこに住んだ人も、見てたのかな」
 呟くように近藤さんが言った。
「多分それはないと思いますよ。事故物件じゃないかって問い合わせた人、僕以外にいなかったみたいですし」
「なんで、君には見えたんだろう」
「さぁ・・・ただ僕、あの部屋すごく気に入ってるんです」
 近藤さんは足を止めて僕を見た。
「・・・うん、俺も気に入ってた」
「知ってます」
「出て行くのがすごく嫌だった」
「あーわかります。僕も多分そうなると思います」
「一人なのに、家に帰るの楽しみだったな」
 歩きながら、彼は懐かしそうな表情をする。
「充実してたんですね」
「圭太くんは?充実してる?」
「してるんだということに、今日やっと気づきました」
「そうなんだ」近藤さんは笑った。「俺も、自分が馬鹿だったって今日やっと気づいたよ」
 駅に着いてから、近藤さんは僕に向けて手を出した。僕も自分の手を出して、握手をした。
「今日はありがとう」
「いえ。お会いできてよかったです」
「今度遊びに行っていい?」
「もちろん」

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