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住む記憶

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読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「おおっ」
 僕は思わず声を出してしまってから、聞こえた筈もないのに、馬鹿みたいに口を押さえた。
 彼女は自分の書いた文字をカーテンで覆うと、ソファーに戻り、少し笑いながら小さなため息をついた。僕は夢でも見ている気分で彼女を見つめていた。もっと見ていたいと思う僕の気持ちとは裏腹に、そのグレーとピンクが混ざったような表情は、今に流されて消えて行った。



 直人の顔が目の前に出現して、僕は「わあっ」と跳び上がった。近くに座っていた何人かが、チラリと僕を見る。
「・・・おはようって声かけたんだけど」
 直人が睨むような目で言う。
「ああ、ごめん」
 あの髪の長い女性を見てから、過去はパタリと部屋を訪れなくなった。少し、というかかなり寂しくて、僕はフラれたような気分を味わっていた。それを察したのか、直人は僕の顔を掴んでグイッとある方向へ向けた。そこには、女子のグループがあった。みんな笑顔でおしゃべりをしている。
「お前に必要なのはあれだ」
 直人は言い、今度は僕の肩を掴んで、無理やり自分と向き合わせる。
「・・・はい?」
「生きている人間との接触」
「今してるじゃん」
「いや、お前は疑似三次元に心を奪われている」
「なにそれ・・・」
 僕は彼の言葉に呆れてしまった。
「この際、幽霊と仲良くするなとは言わない。でも頼むから、現実との繋がりをちゃんと深めてくれ」
 そこで教室に先生が入って来て、僕らは体を前へ向けた。
「とりあえずカラオケだ」
 耳元で直人が言う。
「いいよ僕──」
「もう約束したから」
「今日はバイト──」
「昨日ないって言ってたよな」
「・・・・・」
 結局、学校が終わってから女の子たちとカラオケに行った。行けば行ったでまぁまぁ楽しかった。たまになら、悪くない。そうだ、別に嫌な訳じゃない、ということを思い出した。一つのことに捉われて、現実を面倒臭がってしまっていた。
「雅美、お前のこと好きらしいよ」
 帰りの電車の中で直人が言った。
「雅美が?」
「そう」
「へぇ、そうなんだ」
「今日、圭太に一生懸命話しかけてたの、気づかなかった?」
「ああ、割と、話すこと多かったかも」
「別に付き合えとかいうんじゃないけど、ちょっとは考えてやれば?」
 次の駅で直人は降りる。降りる前に、この話をした方がいいと思ったのだろう。僕が思っている以上に、直人は僕のことを考えてくれているのだ。
「考えるよ。ありがとう。心配してくれてたの、気づかないでごめん」

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