テーマ:ご当地物語 / 兵庫県市と甲子園球場

甲子園とチョコレート、そして四月

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 手紙には、シングルCDも同封されていて、その曲が去年だか一昨年だかのいわゆるトレンディドラマの主題歌だったというのは、普段あまりテレビを見ないヒロユキも知っていたが、しかし……
 「ラブストーリーは突然に」、て言われてもなあ……
 あれから、学校では美香とはなるべく顔を合わさないようにし、練習でも努めて無視を決め込んで、三学期、それから三年の一学期と、なんとかやり過ごした。しかし今なお、美香のヒロユキを見る小さな目は、明らかになにかを期待してきらきら輝いているのが、遠くからでもわかった。
 言わいでも、態度でわかれよ、ニブイ奴っちゃわ。しかしよりによって、なんで俺やねん……

 顔をしかめ、二本目のタバコに火をつけた時、突然のかん高い排気音が、辺りの空気を震わせた。バックネット後方の県道を振り向くと、シルバーメタリックのスポーツクーペが猛スピードで、県境の峠に続く坂道を登って行くのが見えた。
 お、スープラ!? こいつは、かなりいじっとるな……! とそのエンジン音に耳を澄ます。
 夏休みに入ってすぐ、教習所に通い始めたヒロユキにとって、目下最大の関心事はクルマであった。卒業して給料を手にしたら、まずは頭金を貯めて、必ず買うつもりのクルマを何にしようかと、クルマ雑誌を取っ替え引っ替え、今からあれこれと考えている最中である。
同じ坂道を、土のついた鍬を危なっかしく荷台に括り付けた自転車で、作業着姿の老人が一人、のんびりと下って行く。その自転車のハンドルに吊るされた大音量のラジオからは、高校野球の準々決勝の実況が聞こえて、終盤の佳境に入ったゲームを、興奮したアナウンサーががなり立てるように伝えていたが、ヒロユキには、もはや何の興味も持てなかった。
 とはいえ、ヒロユキの高校生活最大の出来事は、この夏、初めて甲子園のマウンドを踏んだことではあった。
 もちろんそれは、本大会の選手権ではなく、地方予選の、それも姫路球場で予定された一回戦が、直前に不祥事を起こした相手校の出場辞退で不戦勝となり、万年一回戦敗退校に転がり込んできた、くじ運とラッキーの甲子園ではあった。ではあったが、ともかく「甲子園」である。

 かつては、県予選の組み合わせでも「甲子園」は大盤振る舞いで、毎年一回戦から決勝戦まで十試合以上が、あの阪神甲子園球場で開催されていた。
 たとえ甲子園での試合に当たらずとも、以前は予選大会の開会式会場が甲子園球場だったので、ヒロユキたちの何代か前の先輩たちは皆、一応は、あのグランドに立った経験を有しているのだ。

甲子園とチョコレート、そして四月

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