テーマ:一人暮らし

ねこのほね、みみずのなきごえ

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

ほどなくして長い髪をバスタオルで包み込んだ愛佳が戻ってくる。右の頬に白いクリームがちょこんと置かれているのは、本人がいたく気にしている吹き出物の薬だろう。言われなければ気が付かないのに。
愛佳は部屋を見るなり顔をしかめた。
「ちょっとケンちゃん、それやめてって言ったじゃん」
「今日は言われてない」
「屁理屈言わない」
ぴしり。おれの額にデコピンを食らわせて、愛佳はテーブルの上を片付ける。雑誌をまとめてラックに戻しラグの位置を整え、おれの腹の上にクッションをぼすんと積み上げる。愛佳は、乱れた部屋をそのままにしておくことができない。
「ああもう、髪の毛傷んじゃう。お風呂上がったらすぐ乾かさなくちゃいけないのに」
ぶつぶつ文句を垂れる後ろ姿、パイル地のふわふわした七分丈のパンツが冷房の風を受けて、白いふくらはぎのあたりでひらひらと揺れている。
手を伸ばし柔らかな裾を引くと、視線もくれずに邪険な仕草で手を払われた。めげずにもう一度、伸び縮みする布地を引っ張る。愛佳はラグの位置を調整しながら振り返る。
「ララ、爪引っかかっちゃうからやめてってば――あ、そか、ケンちゃんか」
「……そうだけど」
「え、何で不機嫌になってるの。言っとくけど怒ってるのはわたしの方で、ああもう、ごめんって」
溜め息を一つ落とすと、愛佳は機嫌を取るようにおれの項を優しく撫で、浮き出た骨に指を滑らせた。怒りを長引かせないことも愛佳のルールの一つ。
黙って好きなようにさせながら、ベッドサイドのチェストの一番上に目を遣った。ララの骨壺はそこにある。心なしか毛色が白髪のように色あせた三毛猫の、ふてぶてしい表情の写真と目が合った。
ララは愛佳の実家で飼われていた雌猫で、二年前、愛佳の大学の卒業式の翌日に心臓発作で死んだらしい。その頃愛佳はまだ実家で暮らしていて、卒業コンパで朝帰りした時にはもうララは病院に運び込まれていたという。
実家の猫の骨が一人暮らしの愛佳の部屋に置いてある理由は知らないが、どういう訳であれララの骨はここにあり、愛佳は時々その名を呼ぶ。まるでベッドの下やチェストの陰に、見えないけれどこの部屋の何処かにいるのが当然のように。
「さっきの、お風呂の出待ちね」
愛佳の甘い声がおれの耳をくすぐる。
「ララ、お風呂のドアから一生懸命覗き込むから、ドアに鼻がぺたっとくっついちゃって、その痕が点々と残るの。それがいつも同じような場所に付くから、その部分だけ白っぽく汚れちゃってね」

ねこのほね、みみずのなきごえ

ページ: 1 2 3 4 5 6 7

この作品を
みんなにシェア

7月期作品のトップへ