テーマ:お隣さん

夕陽のドーナッツ

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 お隣はたぶん母子家庭なんだろう。父親らしき姿を見たことがないし、声もきかない。母子の声は日常的によくきく。まだ若いママは、学校に行く少年を送り出すとき、毎朝のように、声を張って叱りとばしているのだ。午後になって少年が帰ってくると、また同じトーンで叱り飛ばす。その声はマンションの五階の共用廊下じゅうに響く。きっと向かいのおばあさんも、二軒隣の田中さんの奥さんも、居間にまで達してきこえてくるそのヒステリックな声に辟易しているはずだ。少年はマイペースなところがあるみたいで、ママはいつもイライラとしている。なにも、怒鳴りつけなくてもいいのに、と思う。かわいそうに、と思う。
 家庭というものはそれぞれのルールがあって、他人が口を挟むべきかどうかの判断なんてできないから、介入するつもりなんてまったくない。それに怒鳴り声だって毎回二十秒くらいのものだから、騒音だと抗議するほどでもない。けれどあんまりかわいそうだから、ご意見番にでもなったつもりで、そんなに幼い子供を怒鳴ったりしちゃだめですよ、と、いつか意見してやろうと思っていた。けれどたまたまエレベーターで一緒になったとき、美人だけど相当気のつよそうなママの顔を拝見し、ご意見番はけんもほろろといった感じで早々に隠居してしまった。
 少年とエレベーターで一緒になったこともある。ハキハキとあいさつのできるいい子だと思った。人なつこい、目の澄んだ聡明な顔だちである。母親に似て目鼻立ちがととのっている。少年は今日も背中を焼かれながら登校していく。いつだったかうえーんとマンガみたいに泣きながら階段をかけおりていったことがあった。けれど夕方になれば、ランドセルのベルトに手をかけ、一人でエレベーターに乗り込んで帰ってくる。健気なものだ。
 朝の怒鳴り声をきくのは、しこたま酒を飲んで帰ったときだ。仕事を終えての一杯は深夜二時ごろにはじまって、深酒をすると早朝の六時、七時になってしまう。週に二、三度はその時間になる。この街には、わたしのような生活の客を当てこんだ居酒屋が何件もあってずいぶん豊かである。つまりわたしはサラリーマンやOLたちとまったく逆の生活をしている。七時に帰ってシャワーを浴び、寝支度をし、なんとなくモタモタしていると、ママの甲高い声をきくことになるというわけだ。
 夕方に怒鳴り声をきくのは、シャワーを浴びていたり、髪を乾かしていたり、靴下を履いていたり、ちょうど身支度をしているときだ。さっさと靴を脱ぎなさい、はやく部屋に入りなさい、玄関を開けっ放しにしないで。ママの怒鳴り声は廊下を震わせる。わたしは生活を停止してしばし耳を澄ます。ドアを閉めるバンという音さえも怒っている。玄関の向こう側に回収された少年は、中でどう過ごしているんだろう。防音がしっかりしているようで隣の様子はそれきりわからない。折檻されているんじゃないか。そう疑うほどのママの勢いである。怒鳴り声とランドセルの声のやり取りを分析し、少年が何故怒られているのか判断を試みるのが半ば趣味のようになっていた。断片のみで具体的にはわからないことが多いけれど、ママがイライラしていることだけは間違いない。

夕陽のドーナッツ

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