テーマ:お隣さん

みどりの手紙

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その手紙を初めて貰ったのは、もう二か月も前のことだ。二か月も前から今も、手紙は私の元へ届き続けている。
最初はイタズラか、もしくは誰かが入れる郵便受けを間違えたのだと思った。ただ、イタズラにしては淡い緑色の封筒がとても清廉な雰囲気で、同じ色合いの便箋にはひどく丁寧な字で、『あなたのことが好きです』とだけ書かれていた。それ以外には宛名も差出人の名前も書かれてはいなかった。
私の部屋番号は201号室だ。最近の賃貸マンションは集合郵便受けに表札を掲げるということを殆どの人がしていないから、部屋番号を勘違いしているのかもしれない。もしかしたら301号室の人か、それとも隣の202号室の人へ宛てたものだろうか。そう思って順繰りにマンションの住人の顔を思い出そうとしてみるけれど、たまにエントランスや階段で挨拶をするくらいの人たちの顔などいちいち覚えていなかった。しかし私はそのとき何故か、この手紙は隣の202号室に住んでいる女の子へ宛てたものなのではないかと考えていた。
ハッキリと容姿を覚えているわけではないが、隣に住む女の子のことは強く印象に残っている。というのも、ちょうど半年ほど前に彼女が引っ越してきたとき、彼女はきちんと私のところへ引っ越しの挨拶にやってきたのだ。今どき引っ越し挨拶なんてきっとする人の方が少数だろうと思う。ましてや若い女の子の一人暮らし、防犯の意味でも安易に挨拶回りなどしないと聞いたことがある。だから、インターホンが鳴って見慣れぬ女の子が玄関先に立っていたとき、私は少し面食らった。たぶん、その女の子がとても可愛らしい子だったことも私を驚かせた一つだったのかもしれない。彼女は恐らく美少女と呼ばれるのだろう類いの、そういう女の子だった。
彼女は深々と頭を下げ、隣に引っ越してきた旨を伝え名前を名乗った。覚えていないが、確か「すず」とか、そういう名前だったと思う。私が「木村鈴子」だと自分の名を名乗ったとき、どこか安心したような表情で「名前似てますね」と笑っていたのを記憶している。大人しそうでそこはかとなく品のある彼女がそのとき挨拶で差し出したセンスの良いタオルは、その後うちの洗面用のタオルになった。
彼女は春から大学生だと言っていた。三十路手前の私からしたらもう遠い昔のことのようだが、入学から半年という時期は授業にもサークル活動にも慣れはじめ、恋だの何だのという感情が出てくる頃だろう。ましてやあれだけ可愛い子なのだ、愛の告白があってもおかしくはない。ただ、これだけ通信ツールが発達している中で、今どき手紙で告白という古風さに多少の疑問を感じなくもない。ましてや差出人や宛名すら書かれていないのだ。せめて宛名だけでも書いてあれば代わりに渡してあげられたのに。そんな軽い気持ちで、私は手紙を机の中へしまっておくことにした。

みどりの手紙

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