テーマ:お隣さん

隣人はパールバティ

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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その速さと激しさは見応えがあった。しかも、表情と身振り手振りが実に細かい。その一つ々々が、男神と女神の愛の交歓の様子を表現しているのだ。いつかバルコニーで、その一つでも表現してやりたいと思ったが、とても覚えきれない。僕は、時折ひとり苦笑しながら、彼女の踊りにみとれていた。

 そうして夏が来る。僕の部屋と同様に、隣室のバルコニーにも干し物が増えてくる。僕と彼女がバルコニーで顔を合わせたのは、やはり週末のことであった。僕が覚えた所作で「元気?」と尋ねると、彼女が笑顔で「ええ、元気よ」という意味の所作を返してくる。そして、僕は、一言「暑いねえ」と声を出した。彼女はそれに対して舞踊の所作で答えてくる。それが妙に色っぽい。「どういう意味?」と声を出して訊くと、彼女も口を開く。「いやになっちゃうわねえ」という意味であるという。もっとも、古典インド舞踊にそのような意味の所作があるのかどうか?それは彼女の即興の作り物であるかもしれない。そこで、僕もその場で勝手な所作を見せる。
「あら、どういう意味?」
彼女が少し笑みを湛えて声を出したので僕が答える。
「はは、今日のあなたはとてもきれいだと」
「まあ、嬉しい」
 すると、彼女は、所作の流れを解説しながら、狭いバルコニーでゆっくりと踊ってみせてくれた。今日だけだなんて、いつもきれいだと言ってほしい、あなたもすてきよ、まるでシバ神の子孫のようだわ、それが彼女の解説だった。
「ふふ、ありがとう」僕は少し照れながらそう呟いた。たかが日常の挨拶とはいえ、それはやはり楽しい戯れだ。

 その一週間後の週末のこと、僕はちょっとしたショッピングで駅前の商店街に出かけた。午後もまだ早い頃である。そこでぱったりと彼女に会った。彼女もショッピングに来ていたらしい。「お茶でも飲まない?」僕が誘うと、彼女がにこやかに頷く。僕達は商店街のはずれにあるカフェに入った。隣人とはいえ、互いに初めてのティー・タイムのひとときを楽しむ。
 僕は過去二回彼女の公演を見ている。ボンベイで見たインド舞踊に優るとも劣らない彼女の踊りを褒め称えた。彼女は嬉しそうにそれを聞いている。時折、私的なことも話題になる。目下のところ、彼女にも恋人がいないようだ。ただ、彼女は、この一年のうちに、またインドに行って自分の踊りに磨きをかけたいという。そのために、東京でアルバイトをしている、一度行ったら、最低でも二年は戻らないという。インドでもアルバイトをするそうだ。そうなれば、隣室はまた空き家になる。僕は少しがっかりしたが、今の彼女には踊ることしか頭にないらしい。カフェで二時間ほど談笑したあと、彼女は舞踊教室のクラスがあるということで駅に向かった。僕はそのままマンションに戻る。

隣人はパールバティ

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