テーマ:お隣さん

In My Life

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 それから毎週水曜の夜には、隣からギターの演奏が聞こえるようになった。知っている曲もあったし、知らない曲もあった。しかし、どの曲を聴いても演奏はやはり控えめで、どこまでも優しかった。由利子はいつも窓を開けて壁に背をもたれさせ、夜風と共に舞い込んでくる音を楽しんだ。ときどきギターに合わせて小さく歌を口ずさんだりもした。あれ以来、顏を合わせてはいなかったが、あのときの微笑みのように、ギターの音にも少しばかり親しみがこもっているような気がした。それは由利子の思い違いかもしれなかったが、それでも良かった。ほんのわずかでも、その音が自分に向けられているかもしれないと思うと、自分が一人ではないような気持ちになれた。集団は苦手だけど、いつでも一人でいることがベストなわけではないのだ。夜風が週を追うごとに冷たくなって、虫の声は蝉からスズムシやコオロギに変わった。冷える夜には、由利子はチェック柄の薄手の毛布をひざに掛けて窓辺に座った。
 十月末になると、音楽系のサークルや部活が熱心に練習をする音がどこを歩いていても聞こえるようになった。建物の廊下や掲示板には学園祭のポスターが貼られ、学生たちはいつもよりさらにはしゃいでいた。由利子はどのサークルにも部活にも所属していなかったから、学園祭に向けて特にすることは何もなかった。客として参加したいイベントもないし、一緒にぶらぶらする友達もいない。昨年は学園祭に合わせて実家に帰省したぐらいだった。今年は観たい映画や読むべき本があったし、荷物をまとめて移動するのも億劫だ。学園祭前はほとんどの授業が休みだったが、実家には帰らず、アパートでゆっくり過ごそうと思った。
 金曜日に学園祭が始まると、外は思っていたよりもずっと騒がしくなった。大学の裏手にあるこのアパートの付近はいつもと同じように人通りはなかったが、大学の方向からは絶えず音楽や人の声が響いてきた。由利子は仕方なく窓を閉め、日が暮れる前にカーテンも引いた。そうやって由利子は、最終日の日曜まで一歩も外に出ることなく過ごした。日曜の夕方、大ぶりの茄子を一口大に切りながら、由利子は自分も何かしらのサークルに参加すべきだったろうかと考えた。どこかに所属していれば、親しい友達もできたかもしれない。由利子は自分が仲間たちと笑い合いながらテニスをしているところを思い浮かべ、小さく首を振った。やはりこうして室内で静かに過ごすのが私には一番合っている。仲間や友達がいたら学校行事も楽しめたかもしれないが、掃除をして洗濯をして、自分のためだけに少量の食事を作る生活も決して悪いものではない。由利子は早めの夕食にできたての麻婆茄子を食べながら、ずっと前に録画しておいた映画を見た。その間も、大学からは音楽や歌声が聞こえてきて、由利子を落ち着かない気持ちにさせた。結局映画の内容はあまり頭に入って来なかったが、それほど真剣に見るべき映画でもなかった。食べたものを片付け、読みかけの本を手に取ったが、読書にも集中できなかった。やはり帰省した方が良かったかもしれない。由利子は仕方なく、風呂にゆっくり浸かることにした。顎まで湯船に沈み、じっとしていると、隣の部屋のシャワーの音が聞こえた。隣の彼も、一人で部屋にこもっているのだと思うと、なんだか可笑しかった。こんなに大学生活を満喫していない学生が隣り合って住んでいるのだ。学生の本分は勉強であるにしても、大学生はもっと楽しんで然るべきだろう。

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