月に吠えるよ、シャララララ
夕陽にかこつけ、そうか、トミーも死によったか……、ちょっと雰囲気出したろ思うて、心の中で言う。
これで、ラモーンズの結成時のメンバーは、全員、死んでしもうた。ボーカルのジョーイ・ラモーンも、ギターのジョニー・ラモーンも、ベースのディーディー・ラモーンも、もういない。そして、初代ドラムのトミー・ラモーンも、きのう、この世界からいなくなったらしい。この四人なら、確かにトミーがいちばん長生きしそうではあった。
悲しいとは思わん。好きなミュージシャン死ぬと、とても悲しむ人おる。けど、俺、だれの死もそういう風に悲しめたことがない。それは、会ったことがないからじゃない。現実に会ったことがある人よりトミー・ラモーンは会ったことがある気がする。けど、ひとは誰でも死んでしまうんやから、音楽を残して死ぬひとはみんな幸せ者、それでいい、そんな風に思う。やからトミーの死も、悲しいとかじゃない。
むしろ、ラモーンズのオリジナルメンバーがいまもっかい天国で揃ったとこや、と俺の考えは進む。ジョーイ、ジョニー、ディーディー、トミー、四人はまた天国でラモーンズができる。天国ではジョーイとジョニーも仲直りしとるかもナ。ドラムがいないこと、天国で困っていたジョーイとジョニーとディーディーの顔、想像する。ギターのジョニーは男前なのであまりそうではないが、ジョーイとディーディーはふつうにしていても、顔がおもしろい。ジョーイのなんとなく芋虫っぽい顔、ディーディーの四角くて目のギョロついた感じの顔、ふたつの顔が俺の想像の中で特に困ってる。
ふっとアホらしなった。
ラモーンズのメロディ、ラモーンズのリズム、天国とか地獄とか、そういうことじゃないだろう。天国とか地獄とか、そういう考え、そもそもどうでもいい。ラモーンズ初期の四人は、どこでもない場所へ行ってしまった。ただ、それだけ。どこでもない場所で「電撃バップ」が鳴るイメージが浮かぶ。そのイメージは、阪急電車から見ている夕焼けの光と混じる感じ、今度はほんとに、思いが深くなる。ラモーンズ、帰ったら聞きたいナ。ぼんやりしみじみ、それでもじわじわ増す思い、阪急電車は十三駅についた。
十三駅近くにあるアパートまで帰る道すがら、ハイネケンの六缶パック、ソーセージ、チーズ、アーモンドを買った。俺はふじパン枚方工場クリームパン班所属、意外とまじめに、ほんとは惰性で勤続七年目のナルセユウなので、甘いパンのにおい、毎日肌にまとわりつく。二十五歳の俺の七月の労働後、身体はそれなりに野卑な男のにおいだろうが、汗よりも落としたいのはパンの匂いで、シャワー浴び、サッパリした。ナルセくんの耳って甘いパンのにおいがするナア、と褒めるつもりか、いつも通り二回やった後にマリがちょっとうっとり言うたときがあって、俺はマリのあらゆることが気に入っているから、嫌いになりたくないのにそのせいでちょっと嫌いになったこと、少しだけ思い出したけど、マリの小さくて尖った胸、長い睫毛、細い脚、アンダートーンズがパンクバンドで一番好きだというセンス、それらもいっしょに思い出すから、まあええかと俺の思うことは一貫しない。けれどその時、耳から甘いにおいがするなんて言われるの、けっこう最悪なことに思い、俺はその次の日、マリに黙って、阪急梅田で生まれてはじめて香水を買った。ペンハリガンのジュニパースリングというやつで、俺にとってはバカ高かったけど、これ、ジンのにおいがする。それで、気にいって、買った。これをつけると、パンじゃなくてジン、そう思うことができるので、仕事から帰ってシャワー浴びたあとは、つけるようになって三か月。次に会ったとき、マリはこの香りに関してなにも言わなかったが、そうしてなにかに気づいてなにかを感じてなにも言わないとこ、好きだ。壁時計も置時計も部屋にないので、手首から外したハミルトンのフライトⅡを見ると七時半、ひとりの自由な夜はこれからまだ長い、思うと嬉しく、缶のプルトップ開ける。クーラーはつけない。アパート五階の窓から入ってくる風、淀川べりだから、涼しい。淀川も、この風も、好きだ。そして今夜、いまからは、俺とラモーンズとハイネケンしかない。ハイネケンの一口め、うまくて口が離せず、半分くらい一息に飲む。息吐けば、すべてが解き放たれるようで、胸が軽くなる。これから自分を回復する。
月に吠えるよ、シャララララ