テーマ:一人暮らし

かさねぐらし

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「眠たいですか?」
「もう夜ですから」
「私も眠ろうとしていたところなんです。一緒に眠りましょうか」
 男は目の端に浮かんでいた涙を指でぬぐって、じとっと私を横目で見た。
「ベッドで、ですか」
「……もしかしてあなたの自室にはベッドもないんですか」
 上には上もいたものだ、と私は視界前方に広がる自室の様子を見る。
 ソファにもなる大きめのベッド、白いシーツ、白い掛け布団、白いカバーを付けたビーズの枕。出窓のスペース左側に本をぎちっと並べている。真ん中は空きスペース、右側は食事をとる時に使う。出窓にカーテンはない。ベランダ前の窓には白いカーテン。ベッド側の部屋奥にある備え付けの収納スペースに服や鞄を置いているが、今は閉ざされた白い扉しか見えない。他は何もない。
「もしそうなら、私の部屋のベッドを使ってください。床で眠ると体が痛いでしょうから」
「君はどこで寝るんですか」
「ベッドですが?」
 彼は頭を抱えて縮こまるような体育座りをした。
「いくらここが――僕の部屋であったとしても、見ることができる、触れることができる、会話することができるのなら、僕は君の前でくつろぐことはできません。僕はここで結構! 目を閉じればいくらだって眠ることができるんですから」
「あなたはそうなんですか?」
 私は立ち上がって、再びベッドの縁に腰を掛けた。彼が顔をあげてこちらを見ている。
「だったらそれは羨ましい。私は目を閉じても素直に眠れないことが多いんです」
 閉めたはずのカーテンが揺れているような気がする。私はごろんとうつ伏せになって、自分の腕を枕にしながら彼から視線をそらさない。
「だけど、あなたと出会えた今日は、もう少しよく眠れる気がする」
「……おやすみ」
 久しぶりに聞いた言葉だ。
 小さなころ――母は布団をかぶせた私のお腹をぽんぽんと撫でながら寝かしつけてくれた。遅くに帰ってきた父が私の寝顔を覗きにきてくれたことに気づいて、まどろみの中で嬉しかった。
 それはいつからなくなってしまったんだろう。
「おやすみなさい」

 私が知っているかぎり、かさねぐらしで重なるのは一室だけだ。靴箱に靴をしまって、廊下をひたひたと歩き、部屋の扉を開ける。
「おかえり」
「おかえりなさい……じゃなくて、ただいま?」
 仰向けに寝転がっていた彼は気だるそうに体を起こして、私を出迎えてくれた。彼のそばには私の本が転がっている。
「読んでいたんですか?」
「ああ、すみません。君のことが気になって」

かさねぐらし

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