テーマ:一人暮らし

かさねぐらし

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 大声で叫んだあと、少年はベッドの方を向いて顔を埋めた。嗚咽がベッドのシーツに染み込む。私はそのつむじを眺めながらベッドの上で膝を抱える。
 なぜ完全な自由が存在しないのか? ひとりぐらしに関しては、多くの場合はこう答えられる――単身用の部屋は壁が薄い。
 隣の部屋から手で殴るような鈍い音がした。

 空室を見ているのだと思った。
 壁の他には何もない空間を背景に男が立っている。くたびれたシャツとズボンは彼のサイズに合っていないらしい。胸や肩をぴちぴちと窮屈そうにしているその長身は、私がベッドに座って見上げているのもあって、かなりの威圧感があった。
 この人も何もない人なのだろうか。
 暗さから明るさの転換はすぐに目が慣れる。室内灯のリモコンから手を離して、ベッドに視線を向けている彼の顔を見つめる。
 大きな目をさらに見開いて、固まっている。口だけは戸惑うように開閉して、一度ぎゅっと閉じられたあと息を飲む音がはっきり聞こえた。
「君は僕の幽霊なのか? 僕は君の幽霊なのか?」
 ひとりぐらしにひとりごとは付き物だ。どうせ合うはずもない視線をそらす。と、勢いよく肩を掴まれた。誰に? 私は再び顔を上げる。
「どうして動じない!?」
 空室を見ているのだと思っていた。
 何もない人と何もない私の、かさねぐらしが始まっていた。

「この生活で人に触れ合えたのははじめて……」
「その言い方、語弊があるからやめましょうよ」
 私と彼は壁を背に隣り合って体育座りをしていた。ベッドに腰を掛けるように勧めたが、彼が何も言わずに壁の方に向かったので私がそのあとについていったのだ。
 他人の部屋が自室に重なってしまうこと、私から他人の様子は見えるが、他人からは見えていないようであること、かさねぐらしについて一通り説明したあと、私は青ざめている彼の横顔に尋ねた。
「あなたは、かさねぐらし、はじめてですか?」
「……そうですね。正直、君の説明を聞いてもまだ信じられません。夢じゃないかって」
「頬をつねりますか?」
「べつにそれはいいです。だけど……こういうことはよくあるんですか。また明日にでも他の部屋と重なるようなことは」
 いいえ、と呟く声が自分でもおそろしいほどに低くなった。
「現状況は私も経験したことがないので、断言できませんが。一般的にいえば、重なる部屋が頻繁に変わることはないでしょう」
 そもそもかさねぐらしは一般的なんですかね、と男はつぶやいてから欠伸を噛み殺した。

かさねぐらし

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