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ひとり暮らし

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家族に内緒でひとり暮らしを始めて3ヶ月が過ぎた。
毎朝、夫と子どもを送り出し、掃除と洗濯をすませて、いそいそとこの部屋に通う。駅から徒歩25分、築50年フロなし四畳半のこのアポートは、家賃の安さで決めた。ざらざらした砂カベは好きになれなかったが、畳は張り替えて間もないのかきれいだったし、南向きの窓の外は、隣家が迫っていてはいるものの、太陽の高い今の時期、光が軒先まで届いて明るい。
部屋にはほとんど何もおいてない。小さな台所に電気ポットとマグカップ。部屋の真ん中に小さなテーブルと座布団が2枚。昼寝用の大きめのブランケット。カーテンと照明は前の住人が置いていったものをそのまま使っている。子どもが帰ってくる夕方には家に戻るので、これでじゅうぶん事足りるのだ。
ひとり暮らしが好きだった。
はじめてひとり暮らしをしたのは大学生のとき。ひとり暮らしがしたくて大学に行ったと言ってもいいくらい、小さい頃からひとりで暮らしたいと夢見ていた。学生向けの真新しいワンルームマンションに越してきたときの浮き足立つ気持ちは今でもよく覚えている。誰にも干渉されない自分だけの暮らし。自分だけのスペース。壁も床もそこにあるすべてが私だけのもので、私の分身のようにそこにあって、私を守ってくれているような感じがする。新しい人生、新しい自分がここから始まる、そんな気がしていた。終電を逃した友達が泊まりに来たり、付き合っている相手が遊びに来ることもあったが、基本的にはあまり他人を部屋に入れたくなかった。外で嫌なことがあったりひどく疲れてしまったとき、自分の部屋に帰ってくると心底ほっとした。誰かといっしょにいても、それがどんなに楽しいときでも、むしょうに自分の部屋に帰りたくなるときがあった。社会人になって、寝室が別になった少し広い部屋を借りられるようになると、休日はほとんど部屋でひとりで過ごした。手早く掃除をして、スーパーで食料を買い込むと、日がな一日好きな本を読んだり、テレビを見たりして過ごした。自分を安心してさらけだせるこの空間が、私のすべてだった。
結婚が決まったとき、最初に思ったのは、ああもうこれでひとり暮らしが終わってしまうのだ、ということだった。それでもまだ若かった私は、愛する人と新しい家族を作っていくという未知の世界への希望の方が大きく、結婚してすぐ妊娠したこともあり、毎日の生活をこなしていくのに精いっぱいで、あれこれ考える余裕などなかった。

ひとり暮らし

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