父と神戸と
当時三ノ宮には阪急会館、OS三劇、シネフェニックス、神戸国際会館といった映画館が存在し、見る映画に困らなかった。だが今と違ってチケットに座席指定がなく、上映時間前に必ずできる長い行列に並んでいた。だが映画好きの父にとってそんな些細なことでしかなかったようだ。
「アポロ13」「007/ゴールデンアイ」「インディペンデンス・ディ」「ザ・グリード」「パールハーバー」「ジュラシックパーク/ロストワールド」「ブラックホークダウン」・・・等父と並んで観た映画は数知れない。二時間の体験を終える度、私は父と同じ映画狂に染まっていくのを感じた。そして帰りの阪急電車で今日観た映画の感想や今度の予告編等をお互い語らい合う友達同士になっていた。そんなたわいもない話で大きく揺らす父の背中を見ていたらこの時間が永遠に続くよう私には思えていた。
月日は流れ、私は中学・高校・大学と進学し父とは話すこともなくなった。校内ではそれなりに普通の学生生活というものを送り、餃子屋に行く事も無く、映画も友人に連れられる程度にしか行かなくなった。
そして父は今、目の前にある棺の中で安らかに眠っている。もう数分もしないうちに火葬されこの世から存在が消える。突然の出来事であった。私は棺を見下ろし悲しみより先に何かの映画を見ているような気分であった。もし震災がなければ母と話し、日曜は友人たちとゲームで遊び、父とは過ごさない普通の少年時代だったろう、今までそんな無駄な考えにばかり囚われていた。その過去がつい昨日までのように思えて仕方がなかった。そしてポロポロと無益な涙だけが流れ始める。
だが父も恐らく同じ事を言うだろう、とも思った。私や父は震災であまりに多くの物を見すぎてしまった。これは神戸で生まれ育った人間の宿命なのだろう。
神戸の事を語る時ノスタルジーや望郷などでは決して無い、「記憶」で語るのだ。あの時神戸で観た、食べた、話した「記憶」は今の私を形成していたのだから。
私は「記憶」を受け入れる事にした。
いつだったか餃子屋のカウンターで父が言った言葉をふと、思い出した。
「熱いうちに食えよ、冷めたら損や。」
父と神戸と
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