テーマ:ご当地物語 / 兵庫県神戸市

父と神戸と

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「三ノ宮行くぞ」
日曜の朝、父が私に先ず話しかける言葉がそれだった。
小一時間も経たずに、父と私は阪急電車の窓より流れ行く景色を見つめている。横にいる父は昨日見た映画や最近のニュース、常連客の悪口など一方的に話していた。だが私の視線は線路沿いに歩く子供達や学生達を眺め、本当は友達とゲームやドッジボールで遊びたいと言えなかった自分に少しながら辟易していた。しかし、震災で母を亡くし、父なりに私へ対する父性的行動なのだから仕方ない、と当時から冷めた視線で理解していたからなのか何も言えずにいた。

西宮北口駅で乗り換え、どっと降りだす人ごみへ吸い寄せられるように、神戸線へと乗り換えた。流れるような景色に見とれているといつの間にか岡本駅を過ぎ、阪急三宮駅に到着している。ハブ駅である梅田駅構内の広大さとは真逆の、鉄骨アーチに支えられたむき出しの屋根、整列に配置された蛍光灯が醸し出す控えめな明るさでどことなく嫌いではなかった。西口改札を抜けると、父は迷いのない歩調でお目当ての餃子屋へと歩き出す。
神戸では餃子を味噌ダレで食らうのが定番になっている。何故かは知らないが「神戸ぎょうざ苑」と言う店から伝播し「赤萬」「ひょうたん」「ぼんてん」といった三ノ宮駅周辺の餃子屋で提供されている。味噌といっても名古屋のような八丁味噌ではない、白味噌に豆板醤を合わせたような塩気が立ちすぎた独特の味噌なのだ。そして私はこの味噌が大好物であった。
父のお気に入りの店は阪急ガード下にある名もなき店だった。そこは阪急線とJR線に挟まれた800メートルほどの路地なのだが、ジャズ喫茶や串カツ屋等がひしめき合い、空気はタバコと油の煙で白くかすんでいるいる。父の履くゴムサンダルがペチャペチャ音を立てるのを追いかけながら目的地へたどり着く。 

カウンターとテーブル一つしかない狭い店内へ父はスッと座り込み「生と6人前ね」とだけ喋るとすかさずタバコを吸い始める。店員は無言で鉄板に餃子を整列し始める。私は積み上がった小皿からを二枚取り出し、例の味噌とラー油を適量にスプーンで投入していく。父は底に溜まった唐辛子が好みなので片方はどんどん紅色に染まっていく。私は餃子が焼きあがる間、猿のように味噌ダレを指で掬っては舐め続けていた。
焼きあがった餃子が無言でドンッ、と置かれると父の背筋が一瞬ピンとしたような気がした。一瞬父と目が会う前に割り箸を手渡し、一心不乱に餃子を取り分けてゆく。綺麗な茶色に焼きあがった表面を味噌で汚していくかのように一つずつ浸し、口に放り込んでいく。正直言って味噌の味しかしない。だが子供ながらにその単調さこそ至福だった。さっきまで友達とゲームしたいといった不満はこの瞬間消え去ってしまった。父は食べてる間、一言二言何かを話しかけてくるが、餃子をほうばることに夢中で何も耳に入ってこなかった。食べ終えるとすかさず父は準備していた千円札二枚を手渡し、お釣りを受け取ると足早に映画館へと向かった。

父と神戸と

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