私とタツヤとノムラ君
餌は、スイカとか水分の多い物は避けて下さいね。カブトムシが下痢しちゃいますから。虫なのに下痢とか面白いでしょ。以外とデリケートなんです。バナナ?いいですね。果物ならバナナが最適です。でも、果物ってどうしても傷むじゃないですか。臭ってきたり、小虫が発生したりする事もあるんで、僕的にはやっぱり専用の昆虫ゼリーがお勧めですね。彼は聞いてもいない飼育のいろはを捲し立てたあげく、売り場を回って、止まり木や、餌置き、園芸用の腐葉土に至るまで必要なものを一通り見繕ってくれた。
仕事熱心なのか、それとも一応私が若い女子である事が幸いしたのか。いずれにせよ、カブトムシとの同居にあたり、十分過ぎる準備を整えた私は、かなりの重さになった袋を提げて、ホームセンターを後にした。
汗だくになってマンションのエントランス前に辿り着くと、丁度背の高い男性がオートロックを解除している所に居合わせた。Tシャツ、ハーフパンツ姿のその青年は、お隣さんで、会社の行きがけに何度か挨拶を交わした事がある。追いついてしまうのも何だか少し気まずいので、何となくその場に立っていると、こんにちは、と向うから声をかけて来た。
「こんにちは」
彼の姿を正面からきちんと眺めたのは初めてだった。色白で、端正な部類に入るであろう顔だちをしている。繊細な佇まいに、涼やかな印象を受けた。
「荷物重そうですね。俺、上まで持ちましょうか?」
土の重みで、袋を支える私の人差し指と中指は赤黒く変色している。実にありがたい申し出だったが、うっかり袋の中身が見えたりしたら、恥ずかしい。
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
「そうですか」
きっと私は見るからにへたばっていたのだろう。彼は心配そうに私の事を一瞥すると、「じゃあ・・・」とその場から離れ、階段を昇って行った。
それからというもの、私は半ば意地になって彼の世話に没頭した。簡単に死なれてしまっては、今までの労力も出費も全てが水泡に帰する。こまめな餌やりや、ケース内の湿気の管理は勿論、快適な室温が保たれるようエアコンはつけたまま外出し、時には、彼の腹についた砂粒のように小さなダニを、使い古しの歯ブラシでゴシゴシと取り除いてやったりもした。
どんなに手を掛けてやっても、当然、彼は犬の様に尻尾を振って喜びを表現する事も無ければ、「ありがとう」と彼氏の様に頭を撫でてくれる事も無い。それでも、小さな命を支えているというささやかな充実感が、私の寂しさを少しだけ癒してくれた。
私とタツヤとノムラ君