くしゃみ
骨と皮だけになった母の背中を追い払おうとしながら、甘いカレーを食べた。
「次は、蛍光灯買ってきますね」といってヤマダさんが帰っていった。夜になって、自室の夜光灯をリビングまで持ってくると、下から暖色の照明が広がった。「誕生日みたいね」と母がいった。それに応えるようにくしゃみが聞こえた。
葉書がきていた。葬儀を知らせる手紙と、結婚式の招待状だった。死んだのは昔の同級生で、結婚したのは教え子だった。葬儀の通知書を自室の引き出しの見えないところに仕舞い、招待状には欠席に丸をして、近くのポストに入れにいった。入れたあとで、「ご欠席」の「ご」を消しておかなかったことに気づいて、ポストに手を入れてみたが届かなかった。
注文した蛍光灯が届かない。もしかしたら私は届け先を間違えて書いてしまったのだろうか。そんなことはないはずだと思っても、その可能性は否定できない。私もだんだんと母と同じようになっているのだろうか。私がおぼえていないところで、ヤマダさんに迷惑をかけているのだろうか。きょう母はよくねむっている。レゴを少し組み立てたが、それ以上は乗り気になれず、散歩に出かけることにした。二日つづけて家を出ることなどあまりなかったが、気分転換になるかもしれない。ちゃんと鍵をかけて家を出た。左隣の家の娘が、小さな庭に出て、草むしりをしていた。庭には花壇があって、どの花も手入れが行き届いているようだった。汗で、娘の薄いワンピースが体にひっついていた。向こうが顔を上げたので、私はなにも見なかったかのように足を速めた。私はなにをおそれているのだろう。
ショッピングモールのおもちゃ屋さんにいって、店員さんに「私に孫はいないんです」といった。最初からいないのではなく、死んでしまったとでも思われたかもしれない。帰り道に、悪いことをしたと思った。
目が覚めて、廊下に出ると、玄関のドアががちゃがちゃと回されていた。強盗かもしれない。なにも武器がなかったので、掃除をするときに使う、あの、コロコロするやつを手に持って玄関の鍵を開けて、ドアが向こうから開く瞬間にコロコロを振り下ろそうとすると、相手が小さな悲鳴を上げた。彼女が尻もちをついたおかげで、コロコロは命中しなかったが、なにかが割れる音がした。「す、すいません!」とヤマダさんがいった。「あの、わたし、鍵が開いてるもんだと思って、その、申し訳ありませんでした!」玄関の前で、袋に入った蛍光灯の箱がひしゃげていた。
くしゃみ