甲子園とチョコレート、そして四月
「お前には強がっとるけどな、あれで親父さん、結構参って弱ってんねんぞ」
田村酒店はヒロユキの実家、みやま寿司の仕入れ先でもあり、故郷を出たきり、年に一、二度帰るだけのヒロユキよりも、よほど内情に詳しかった。
ヒロユキは、一昨年母親を亡くした。
店での仕事中に脳梗塞で突然倒れ、救急搬送された病院で緊急手術の甲斐なく、六十二歳であっけなく身まかった。
葬儀に続く一連のごたごたが片付いた夜、ヒロユキは、仏間の座卓を挟んで、改めて父親に向き直ったのだった。
無言のまま父親に言うべき言葉を探していたヒロユキの機先を制して、父が切り出した。
「お前、もう帰れ」
「へ!? せやかて……」
一気に気が抜けた。
「うちも、明日から店開けるからな。お前かって、この時期、そうそうは休んどれんやろが」
母親が亡くなったのは、十二月に入ってすぐだった。
「いや、それは大丈夫……」
「お前はよォても、美佐子さんが大変やろが。お母ちゃんの通夜からこっち、小さい子抱えて、知らん土地で知らん人ばっかりの世話焼かされてんのやぞ。ちょっとは考えたれ」
真新しい祭壇に据えられた母親の遺影をちらりと見やってから、父は、ヒロユキが小学生のころから愛用している大ぶりの湯飲みを取り上げると、ずずっと茶をすすった。
高校を卒業した後、板前修業に出されたのは、店を継ぐためのはずだった。が、父から「帰って来い」と言われないのを幸い、京都から、大阪、神戸、有馬温泉、また大阪と転々し、店もまた寿司屋、居酒屋、割烹、旅館と、業態を選ばず伝手を辿っては渡り歩いてきて、先ごろまで勤めていた天王寺のホテルで、七軒目を数えていた。
最初の結婚は二十七歳、有馬の旅館にいたころだが、この結婚生活が二年持たずに破綻した直後には、投げやりになり、生活も荒んだ時期があった。
そんなヒロユキを救ってくれたのが、美佐子だった。
よく笑い、細かいことにこだわらないように見えて、実はよく気の付くこの女といると、ふんわりと柔らかい真綿に包み込まれるように、ささくれた心が氷解していく心地がした。
ヒロユキ三十五歳、美佐子三十歳の折に、子供が出来たのを機に入籍し、故郷の両親には事後報告で済ませた。だからかどうか、母親の葬儀の時には、いつになく緊張している様子で、親戚などへの挨拶も初対面だからというわけでもなく、どこかぎこちないものがあった。
そんな美佐子の気疲れを、見てないようでちゃんと見ていた父は、さすがの接客キャリア五十年、「かもな」とヒロユキも感服するのだった。
甲子園とチョコレート、そして四月