テーマ:ご当地物語 / 兵庫県市と甲子園球場

甲子園とチョコレート、そして四月

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そこここで鳴き頻る蜩の声に混じって、ツクツクホーシが聞こえた。小一時間前に降った夕立のせいか、風が頬に心地いい。
 目深に被ったキャップの庇から、目を眇めてグラウンドを眺め回すと、ヒロユキは自転車をバックネットに立て掛け、ジョンの首輪からロープを外した。
 茶色の雑種犬は、身もだえしながら尻尾を激しく振り、全身で喜びを表現してから、ライトのファウルラインに沿って、転がるように駆け出す。
 わざわざ高校のグラウンドまでやって来たのは、ほんの気まぐれだったが、夏休みとはいえ、誰がしかはいるだろうと思って来たのに、さっきの雨のせいか、グラウンドには見事なまでに人っ子ひとり残っていなかった。

 ……にしても、雨なんか、ものの三十分で止んだやないか……。ったく、俺ら三年がおらんようになったら、途端にこれやもんな…
 「…ったく」と、心の中で独りごちた最後のひと言が思わず声に出た。野球部に限らず、三年生は夏の大会が終わった時点で、どの部でも現役を退いている。
 肩透かしをくわされた気分でヒロユキは、一塁側の桜の木の下に置かれたベンチにどっかと腰を下ろし、迷彩柄のハーフパンツのポケットからタバコを取り出しては、ふと思い出したように辺りを気にして、ぐるりを見回した。見回してはみたが、高校本屋とは敷地を別にするこのグラウンドでは、誰に見とがめられる心配もなく、「ふっ」と頬で笑ってから、掌で囲ったライターでタバコに火をつけ、深々と吸い込んだ煙をゆったりと吐き出した。
 ところどころ水たまりの残る無人のグラウンドを我が物顔で駆け回り、あげく、サッカーのゴールポストに向かって片足を上げた犬に向かって、「こら、ジョン、そんなとこでションベンしたらサッカー部の石原、カンカンやぞ。」と、苦笑しつつ叫んだ。ヒロユキの声を聞き付けたジョンが、激しく尻尾を振りながら、またこちらに駆けて来る。足元に纏わり付く犬の頭を撫でながら、ヒロユキは咥えタバコのまま、ついこの間まで自分たちが駆け回っていたグラウンドを、改めて見渡した。
 山の中腹を切り拓いて造られたグラウンドは、野球部だけでなく他の運動部との共用で、ためにライト側は本塁からわずか七〇メートル足らずで高いフェンスに遮られ、その下は崖だ。左中間には、内側がサッカーのフィールドとなる陸上のトラックが大きく食い込み、レフトの定位置付近には、サッカーのゴールポストが置かれている。

甲子園とチョコレート、そして四月

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