甲子園とチョコレート、そして四月
もとより名もない田舎の県立校で、ヒロユキにしても野球一筋に打ち込んできたわけでもなかったが、改めて思い返してみると、それしか記憶に残らない三年間の高校生活であった。カノジョもできず、高三のいまだに童貞のままだ。
ヒロユキと同じく就職組で、ショートと控え捕手だった竹田と新井は、一週間ほど前、「職場見学」と称して遊びに行った神戸で、野球部OBの大辻さんとばったり出くわし、ソープを奢ってもらったと、自慢げに話してくれた。
「こっちで就職するんやったらいつでも事務所に遊びに来い、言うてくれたぞ」て、なあ……大辻さんいうたら、モノホンのヤクザやぞ。あいつら何考えとんや。……けど、俺は・・・俺は、やっぱ、初めはやっぱ、風俗なんかと違うて、ホンマに俺のこと好いてくれてるコと……
と、中学まで一緒だった田坂恵美の、知的で清楚な笑顔が頭をよぎる。
姫路の親戚宅に寄宿しているのでその顔を拝む機会もめっきり減ったが、高砂の進学校に通う彼女は、来年京都の大学を受験すると聞いた。
一瞬、でれっと緩んだヒロユキの顔が、「あ」とひと言ふと曇り、途端に渋面に変わった。
まだ二年生だった二月のバレンタインデーだ。野球部のマネージャーを務める美香から、自宅に宅配便が届いた。
毎日顔を合わせとんのにワザワザなんやねン? と訝りながら開けてみると、ボールとグラブをかたどった、手作りらしいチョコと一緒に、やけに丸まっちい文字の手紙が入っていた。
「秋の大会は、ざんねんだったね(グスン)。サヨナラヒットを打たれて、がっくりとマウンドにひざまずいたヒロくんの姿が、忘れられません。もうじき三年生。高校最後の一年です。そしてヒロくんには、最後の夏が待ってます。めざせ!甲子園!(なんてね♡)ミカはいつでも、ヒロくんのことをみつめています♡」
「わちゃー!」と、思った。
これって、イワユルヒトツのコクハクなんやろな……。「タカハシくん」から、いきなり「ヒロくん」やで…… あいたたー……
ヒロユキ十七歳にして、生まれて初めて貰ったラブレターだった。だが、しかし……
ミカブーやもんなァ…、なんせ、ミカっちゅう名前が似合わんコンテストがあったら、ダントツで日本一やもんな、あいつ。名字の方はピッタリやのに……
ヒロユキは、猪熊美香の、小さな目と目の間にでんと居座った上向きの鼻と、足が余計に太く見えるだけだからやめときゃいいのに、といつも思うルーズソックスを思い浮かべながら、暗澹たる気分で、チョコレートのグラブを齧った。
甲子園とチョコレート、そして四月