テーマ:一人暮らし

先輩の彼氏

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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それからも暗がりの中で私は、隣室からひびきつづける愛欲の声にいやがうえに耳をかたむけていた。
ほんとうに、中山秀樹という男性が実在して、いまとなりで聡里という豊かな肉体の女性を相手に、セックスに耽溺しているようにおもえはじた。声だけでなく、汗ばむ肌と肌のふれあう粘り気をおびた擦過音までが伝わってくるような気さえするから奇妙だった。最初のうちは、聞いてはいけないと自分に言い聞かせていた私だったが、いつまでも続くその熱を帯びた声音にふれているうち、しだいに好奇心があたまをもたげてきた。
もしかしたら、隣室には想像上の男性ではなく、ちゃんとした肉体をもった男性がいるのではという気がしてきた。でなければ、あそこまでリアルな反応はいくら聡里さんでもあらわせないだろう。いままたあがったひときわ激しい喘ぎを聞いて、私は確信をふかめた。きっと、かつがれたのだ。これは聡里さん一流の、ジョークにちがいないわ。彼女も一流のアーティストだから、こんな他人にはまねできないパフォーマンスにおよんだのだ。後日、種明かしをして、私がどんな反応をみせるか、たのしみにしているのだ。
そう思うと、おかしくもあり、反面、腹もたった。こともあろうに、彼女をリスペクトしてやまない私をかつぐとは。
私が、ベッドからおりて、がらりと襖をあけて、部屋の照明をつけたのは、先手をうって彼女に一泡吹かせてやろうとおもったからだ。酷とはおもったが、これみよがしにきかせている声に、さすがに私もほとんど切れかかっていた。
どっと流れ込むこちらの照明の白い光のなかに、いまベッドの上で身をのけぞらせて身も世もない大声をはりあげる彼女がいた。こちらの存在などまったく目にはいらぬように昇天してしまった彼女の上に、私はなんどもしばたたいた目をこらした。しかし見えるものと言えば、アーチ型にそりかえった彼女の裸身がそこにはあるばかりだった。

「彼、あなたのこと、ずいぶん気にいったみたい」
翌日の昼休みに、会社の横の公園のベンチで、いつものようにコンビニのコーヒーをならんでのんでいるとき、ふいに聡里さんがいった。あのときのことにはふれずにおこうときめて三日がたった水曜日のことだった。あのとき私にみられたことには、もしかしたら本当に気づいてないのか、そぶりからはぜんぜんわからなかった。
この三日のあいだ、彼が私のことばかり口にするのでと、わざとらしくふくれてみせる彼女だった。私は笑いながらきいていた。というより、それ以外のどんな態度をとればいいのだろう。聡里さんはそして、こんなこともいった。

先輩の彼氏

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