テーマ:一人暮らし

某国四年史(下巻)

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 建国以来約4年、我が国は鎖国を貫いていた。大学入学と同時に実家がある大阪から京都に移住した。両親(より正確には母)の圧政から開放された私はすぐさま国づくりを開始した。その時のワクワク感と全能感は忘れられない。土地を開き、城を建て、民政を整えた。決して裕福ではなかったが、しかしそれでも幸せな国だった。わずらわしい人間関係だったり勉強だったり単位だったり日光だったりといった邪なものから解き放たれた我が国は、清廉潔白な信仰を守るための新天地であったし、私は確かにピルグリムファーザーズだった。その理想郷が今、存亡の危機に瀕している。

 7月初旬。その日は確かよく晴れた日曜日だった。もしかしたら曇り空の月曜日だったかもしれないが、ほとんど寝ていたのでわからない。覇権国家実家の国家元首たる母から1通のメールが届いていた。そのメールは私を寝起きの幸せな夢うつつから引き剥がした。それはメールの形をした銀の弾丸だった。メールにはこう書かれていた。「来週の日曜日あんたの家行くで」。

 私の体中の汗腺という汗腺が汗を吹き出していた。ついにこの時がやってきてしまった。いつか来るとは思っていたが、もしかしたら来ないかもしれないと期待もしていた。実家にバレる時がきた。母は私が普通の大学生活を送っていると思い込んでいる。実家に帰らないのは大学生活が充実しているからだと思い込んでいるし、便りがないのは元気な証拠だと思い込んでいる。しかし便りがないのは元気な証拠ではなく、息子が怠惰な証拠および私が大学に登録してある実家の住所を下宿先に変更した証拠だった。私の留年通知等の機密事項は全て未然に握りつぶしていた。そう、私は就職活動どころか進学活動にも失敗していて、今年中の卒業は不可能だった。だから私は母と会うわけにはいかなかった。

 予言から7日。私は不眠不休で戦った。正確には戦う準備をした。だがそれはもはや戦いそのものだった。母の襲来を防ぐために、私は強力な罠を三つ設置した。4階にある私の部屋に辿り着くためには一つひとつの罠をクリアして、たった一つの階段を登ってくるしかない。しかし、私の経験に基づいて作り出されたそれらの罠は、確実に凶悪な効果を発揮するはずだ。たとえ母であっても全てを抜けて私に辿り着くことは不可能だろう。

 一つ目の罠は人間の本能に訴えかけるものだった。もしも母に人の血が通っているのなら、ここを抜けられるはずがない。部屋に入ると実感するのはあまりにも快適なその室温。首都を置いていたことが信じられないくらい蒸されに蒸される真夏の京都を駅から20分も歩いて我が国に辿り着いた母は、まずこの快適すぎる室温で思考能力を奪われる。そして目に入るふかふかの座椅子。ヘトヘトの母は、働かない頭でこの座椅子に座る。一息ついた母に襲いかかるのは人間という生物が決して避けられない、いや、生物であったなら決して無視できない誘惑、食の誘惑だ。座椅子は左右をお盆に挟まれていて、右のお盆からはポテトチップスWコンソメパンチが、左のお盆からはカントリーマアムが無限に湧き出す。そして、座椅子に座った者を甘いと辛いの波状攻撃によって決してそこから動けない体にしてしまうのだ。

某国四年史(下巻)

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