テーマ:お隣さん

耳毛の顛末

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 しどろもどろで弁解する夫を見ていると、私はなぜか心が浮き立ってくる。冷たく怒る女はまだ扱いやすい、怒りながら熱くなる女が一番面倒なんだと昔付き合っていた男が言っていたっけ。あれは怒ってるというより、悲劇のヒロインたる自分に酔いしれているだけなのだと。酔いしれるの「しれる」は「痴れる」と書くからね、恥ずかしい怒り方はしちゃいけないよ、と。
 しかし事ここに至っては恥も外聞もなく、悲劇のヒロイン上等ですよと私は夫を問いつめる。
 鼻毛カッターなんてうちにあったかしら。いや、会社の同僚の高橋っていただろ、あいつが貸してくれて……。へえ、鼻毛カッターを貸していただいたの、何だか汚らしいわね。ちゃんと洗ってから使ったから大丈夫だよ。ふうん、鼻毛カッターって水洗いできるんだ。そう、意外に手入れが簡単でさ。わざわざ鼻毛カッターを借りてうちに持って帰ってきたんだ、私にも見せてくれたら良かったのに。ちょっと恥ずかしかったからさ。そう、恥ずかしいから私が夜勤でいない間に。そうそう、君がいないうちにと思ってさ、見られると格好悪いから。今更恥ずかしがることなんてないじゃない、何年夫婦やってると思ってるの。君は案外潔癖性だから……。
 夫のその一言で、私のなかの何かが弾けとんだ。私が潔癖なのではなくて、あなたが汚らわしいことをしているだけじゃないか。
 嘘をおっしゃい!
 安っぽいドラマのような台詞も、案外こういう時には自然と口をつくものらしい。ダイニングに響き渡る声は、まるで他人のようだった。どうやら酔いが覚めたらしい。
 けれど夫は認めなかった。浮気しているんでしょ、正直におっしゃいなさいよ。けれど夫はかたくなに首を横に振るのである。
 夫の口から出てきたのは、「耳かきのお店」という何とも間の抜けた響きの言葉だった。一瞬おかきか何かのお店かと勘違いして、喧嘩を売っているのかと思った。
 上司の青木部長に誘われて、月曜の晩に新橋の耳かきのお店に行ったのだという(結局同僚の高橋さんとは何だったのか)。そこでは浴衣の女性が膝枕をしてくれて、耳かきをしてくれるのだそうだ。
 膝枕! 私が思わず復唱すると、膝というか太ももの上に頭を乗せるだけで、決してイヤらしいことをするわけではないのだと夫は泡を飛ばして弁明した。こちらにしてみれば膝だろうと太ももだろうとどちらでも良くて、そんな下手な言い訳でこの場を切り抜けようとしている夫になおさら腹がたつのである。

耳毛の顛末

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