テーマ:お隣さん

壁のむこうの色

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「……」
 さくらの顔を見た。さくら。こんなに髪の毛さらさらだっただろうか。自分がいなきゃなにもできなかったのに。なんで。
 なにも言えなくなった。気持ちがまたへこんでその日俺は仕事に行けなかった。布団に入ったら出られなくなってふたりのご飯も作れなかった。もう、何が正しいのか、どうしたいのか、分からなかった。
 そんな状態で親父が帰宅したから大変なことになった。親父は何もしないで寝ていた俺を見て怒りを爆発させた。その日の嵐は過去最強だったかもしれない。俺も、よくわからなかった。必死に謝っていた。二人の面倒を見ることもできない自分。幸せにできない自分。暗い家を明るくできない自分。仕事も休んで学校も寝てばかりの自分。こんな自分が許せなく思えた。親父の言葉は突き刺さった。頑張れない俺はどうしようもないやつだ。どうしてこんな、できないんだ俺。
「やめてよ!」
 きづくと優也が布団の山から出てきていた。驚いてはっとすると、自分がひどく親父に殴られていることに気づいた。親父はでかい身体で優也の体を持ち上げて、どけ、とテーブルのほうへ投げた。優也が痛がる声に俺はわけがわからないまま親父に掴みかかって揉み合いになった。
「どけ!」
 親父は初めて歯向かってきた優也へ凶暴な目を向けていた。優也の小さい細い体は親父に片手で握りつぶされてしまうんじゃないかと感じた。無我夢中で優也のところへいって庇った。小さな震える体は、暖かかった。抱き包んでひたすら丸まった。もう、どうしたらいい。どうしたらいいか、分からない。
「にいちゃん、にいちゃん」
 視界がぼんやりしていた。よく目が見えない。どうしたんだろう。結局、どうなった。
「にいちゃん」
 背中がすごく暖かかった。やわらかい小さい体が張り付いている。さくらかな。
「にいちゃん」
 滲んだ視界に泣いている優也がいた。優也の頬がひどく腫れている。そんな……。ショックで言葉がでない。
「にいちゃん」嗚咽しながら泣く優也を見て
「……もうだめだ」思わずそう口からもれた。こんなんじゃだめだ。だめだ、もう。
 逃げるって道もあるんだよ。
 お隣さんの言葉が頭によぎった。だけど、そうしたら俺たちどうなる。親父はどうなる。
「柊也君。立てる? 病院にいこう」
 その声はお隣さんだった。
「大丈夫です」
 視界がまだ滲んでいた。
「大丈夫じゃないよ。とにかく来て」
 お隣さんは、優也とさくらと俺を部屋に入れてくれた。まだ外は真っ暗だった。部屋の中は相変わらず綺麗でいい匂いがする。だいちくん達が寝ているのか片方の部屋は襖がしまっていた。それを見て、そうか。今日襖を自分は閉め忘れた。大事な襖を閉め忘れた。そう思った。

壁のむこうの色

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