テーマ:ご当地物語 / 長野県長野市

花が咲く街

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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咲子はそんな母が怖かった。甘えることもできず、褒められることもなく、常に自分に自信がもてなかった。早く逃れたかった。この場から逃れればすべてが変わると思っていた。
 高校を卒業し、やっとその機会が訪れた。晴れて、咲子はこの街を離れ、東京にでた。
東京は想像を超えた都会だった。空が常に赤茶色だった。人が多すぎた。そもそも人との付き合いがへたくそな咲子には、なおさら人の体温を感じさせず、違った意味で孤独な場所だった。それでも親の顔色を見て生活しなくていいぶん、自由だった。
進学した学校には同じように地方から来た仲間がたくさんいた。全国から集まっていたので、時には衝突したが、本当に楽しかった。少しずつ咲子の世界は広がっていった。
学校を卒業すると、当然のようにそのまま東京に就職した。日々忙しく、生きていくことに精一杯だった。気が付くと10年が過ぎていた。年月が経つにつれ、のびのびとした、自由な生活も寂しさとの表裏一体であることにようやく気が付き始めた。友人達は皆、恋をしたり、趣味に没頭していた。
さみしさを埋めるかのように咲子も恋をした。たぶん誰でもよかったのかもしれない。恋がさみしさを埋めてくれた。と同時にもっと違ったさみしさを知ることにもなった。
もともと人に甘えたい、頼る性格の咲子は、恋の相手にも依存していった。ますます強くなるさみしさをさらに埋めようとしがみついていった。当然しだいに相手にとって疎ましい存在となり、浮気をされ破局した。
立ち直れなかった。
耐えられなかった。
逃げ場がなかった。
さみしかった。
さみしかったから、友人を頼ったが、友人も暇ではなくたびたび裏切られた。
さみしかったから、意を決して旅もしてみた。咲子にとってはかなりの冒険だった。旅先でたまたま海に潜ることを覚えた。海の中は孤独ではあったが、海の中から見る空の青はすべてを忘れさせてくれた。満足だった。夢中になって、美しい海を求めて旅を続けた。なにかを捜し続けた。これが幸せだと自らを納得させていた。しかし所詮海にとって咲子はお客様でしかなかった。
結局中途半端なあたたかさを知った分、気が付くとさみしさは100倍くらいに膨らんでいた。さみしさがつのりすぎて咲子はからっぽになった。なにもなくなった。日々、惰性でくらすしかなかった。
そんなスカスカの心の中にすっと入りこんできたものがあった。それは、部屋の隅に置きっぱなしの段ボール箱。貼ってある宅配便の伝票の文字は、お世辞にも達筆とはいえない母の文字。野菜や米や缶詰をわざわざ送ってくる気持ちが理解できず、中身などろくに見ていなかった。考えてみれば、自分のことしか考えず暮らしていた10年間、年に何回か故郷の香りを欠かさず送ってくれていた。面倒臭くて、迷惑な箱。箱の中からほんのりと土と花の香りがしていた。添えられたメモには田舎のなにげない日常と娘に対する精一杯のやさしさがつづられていた。そこだけ時が止まっていた。

花が咲く街

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