テーマ:ご当地物語 / 長野県長野市

花が咲く街

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やがて電車はゆっくり地上に出た。キラキラとした日差しとともに、春の緑が目に飛び込んできた。閉鎖された空間から解放される快感が手足の隅々まで染み渡る。
 地上にでた電車は日差しを浴びてゆっくりゆっくりちいさな駅をいくつか繋いでいった。この時間は車窓から見える景色に人影はあまり見当たらない。しだいに緑が増え、低層住宅ばかりになった頃、咲子の住む街の駅に着いた。電車から一歩外に出ると、春のあたたかく、甘い香りがした。木造の情緒ある小さな駅舎は、子供のころからまったく変わってない。いまでは時々無人になってしまうほど寂れてはいるが、待合室の木の長椅子はいつもピカピカに磨かれている。
駅を出て、所狭しと並んでいる自転車の横をすり抜けていくと、すぐ北側に咲子の街は広がっている。わずかばかりの商店が主要道路の両脇を固めている。かつては今の3倍程の店が賑やかにひしめいていたが、いつの間にか、数件になってしまった。数分も車を走らせれば大きなスーパーマーケットや商業施設が多数あるため、ほとんどの住人が車で通り過ぎるだけの商店街になってしまっている。しかし、この商店街は意外とがんばっている。、毎年、商店街主催の夏祭りには驚くほどの人が集まる。予算が組めずに断念せざるをえない状況の時もあったが、そこは商店街の底力で乗り切ってきた。咲子はひそかに尊敬しているし、応援もしている。
 狭い主要道路ではあるが、意外に車の交通は激しい。車との接触を避け壁際を足早に歩く。商店街を100メートル程進み、西に入ると、右手に街の集会場がある。併設の小さな公園の前でひと息つき、咲子は立ち止まってそこにある大きな木をみあげた。いつからそこにあるのかわからないが、とにかく古く、大きな桜の木が咲子を見下ろしている。毎年みごとな花を咲かせてくれるのに、近所の人達はあまり関心がないようだ。咲子はこの桜が大好きで、桜の季節は決まってこの木を見上げ、ピンクの世界を堪能している。
今年の桜は早い。すでに満開の桜が空一面にひろがり、空がピンクに染まっているように見えた。気温が高かったせいで、いつもの年のように、毎日いつ咲くんだろう、まだかなあと、ワクワクする暇もなかった。今もあっついほどの日差しが、シミのめだちはじめた肌に痛い。
 しばらく見とれていると、意識がふわっとピンクの世界に吸い込まれていった。全身がピンクの世界に包みこまれ、すべてのことが頭の中から消えていくようだった。

花が咲く街

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