僕の隣りに座ったひと
すると、そこへ沢山の荷物をもち、どこかの民族衣装のようなガチャガチャした服装のおじいさんが僕の近くに寄ってきて座った。何とも言えない雰囲気が僕のまわりに広がった。そして、そんなモヤっとした空気を裂くように、そのおじさんは、
「寺、行きたいんだけどね。寺。なんかいい寺、ないかね。いい寺」
と僕に問いかけた。
「え……て…寺ですか…」
しばらく、ぼくは考えこんだ。そこにはそのおじさんへの不信感…というよりも、下手なことは言えない、という、どこから湧いて出るのかがわからない、不思議な責任感から生まれた行動だった。しかし、下宿してから数ヶ月の間に溜め込んだ、僕の頭のマップには一つも含まれてはいなかった。会話がつまる。二者の間に流れはじめていた爽やかな風は、もとの不穏などんよりとしたものへと戻ってしまっていた。おじさんは僕の顔をじーっと見つづけている。僕は思わず俯いた。
「…す……すま…すみません。寺…お寺…の場所とか…そういう感じのは全然、わか…知らなくて…知らないんです」
手から、じわっと汗が滲みでてきた。
ゆーっくりと顔を上げると、おじさんは。温かみのある笑顔でこちらを見ていた。
一瞬にして、戸惑いを隠せなくなった。何故、このおじさんは笑顔なのか、僕のこの聞きづらい話し方にイラついているのだろうか。いや、はたまた、馬鹿にしようとしているのではないか。もしそうなら、馬鹿にしようとしているなら。僕はどうやって切り返したらよいのか… 生まれつき… いや、緊張してしまうと吃音ぽくなって…いや違う。どうしたらいい… と頭のなかで瞬時に切りかわっていく、いつもの『最悪のケース』というのがテーマの妄想が脳内モニターに流れるなか、おじさんがぽつりと言った。
「ありがとな、…ありがとな」
想定外だった。シミュレーション不能だ。僕のなかでフル稼動していた妄想生成装置は、一瞬にしてクラッシュし、頭のなかが真っ白になった。
僕が呆然としていると、おじさんが、再び呟いた。
「おらぁのためにさ。記憶フル回転だったろ。記憶、な。」
涙が溢れそうになったが、なんとか堰き止めることに成功した。何という反射神経だ。すばらしい、すばらしい。と本心ではない思いを自分にぶつけながら、幾度となく溢れ出そうになる涙を堰き止めた。でも、なぜ涙がでるのか分からなかった。
おじさんは、どうやら話し好きらしい。何も話さず、相槌を打っているだけの僕とは違って、様々な話を聞かせてくれた。おじさんは、白みがかった空を見上げながら、ぽつりぽつりと話しはじめた。
僕の隣りに座ったひと