テーマ:お隣さん

僕の隣りに座ったひと

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

 「あ、歯磨きしてない…」
 僕は、パッと目を覚ました。人間に汚されてきたとは思えない程爽やかな風が窓から入ってきて、僕の顔をくすぐると、布団のなかで大きなあくびと大きな背伸びをして、それでも、起ききることができない体をくねくねと大きくくねらせたり、脚を曲げ伸ばししながら、布団の外に出る。そして枕の上に置いてあった目覚まし時計を見て、純粋に驚いた。それもそのはずだ。こんな時間まで起きていたことはあっても、こんな時間に起きたことは無かったのだから。いや、むしろ未だ鳴っていない目覚まし時計を止めるという行為にさえ酔いしれ、自分は立派な大人になったのだと本気で思い込んだくらいである。しかし、そんな中で、ふと何かを思いだしたのか、僕は自分の服へと視線をずらす。…昨日帰ってきたままの格好である。自分への酔いが一気に冷めた。そして、そこにいたのは、ただ格好わるい、だらしない…いつもの自分だった。

僕の下宿先の前にある大通りは、昼間の賑いが嘘のように静まりかえって、そこには、やわらかな風が流れる音、2、3匹の蝉の声、そして、烏が飛び立つ音が、こんなに大きな空間で、ぽつり、ぽつりと、永遠に干渉しない波紋同士が広がるように鳴り響いていた。

 「ちゃんとしっかり喋れんのかいなぁ」
バイト先でいつもお世話になっている人の呆れる顔。もう何度見たことだろうか。
「……すみません」
「いや、ちゃんとな、落ち着いて言えばいいねんか。そんなに焦らんでもな。」
僕は俯く。
「…はい、分かりました」
「返事しぃな!」
僕は前を向いて、笑顔をつくる。
「は、はい!」
このやり取り、何度耳にしたことだろうか。
いや、分かってる。そして、そういう内気な自分をなくすため、アガリ症な自分を変えるために僕はバイトを始めたのだ。
でも、流石に何度も何度も何度も言われては、正直、凹む。いや、これは甘えにすぎないのだ、と自分自身でムチを打つ…なんて強いやつにはなかなかなれない。そして、そういう事実に気付いて、もう一段深く凹む。そんな負のスパイラルにいつも陥いる。ああ、なんて役立たず、と。なんて不器用なんだ、と。
「もういっぺん言ってみ」
バイト先の人が厳しい顔で僕を見る。

 部屋の中は、昨日荷造りのせいか、参考資料や参考書があちらこちらに散乱している。僕は、すこし寝ぼけた顔で、自分の下宿の天井に付いている豆球の所をじっと見つめながら、ゆっくりと口をひらく。そして、ぽつりぽつりと呟く。

僕の隣りに座ったひと

ページ: 1 2 3 4 5 6 7

この作品を
みんなにシェア

7月期作品のトップへ