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それ

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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そんな「それ」と食卓ごしに向かい合い、そのブラックホールのような闇の中に食べ物が次々と吸い込まれるのをながめつつ、正体・性別不明だけれどこいつの、と彼は思う。
本質は勤勉ではあるがひきこもりがちな専業主婦というところだな、と。

ある晩、帰宅した彼は「それ」がパソコンのまえで食い入るようにかたまっているのを発見した。覗きこむと、リボン、捲き毛のエクステンション、フリル満載のブラウスにパニエ(ってなんだ?)を仕込んだスカートなぞという珍妙かつ妖しげな衣料品が並ぶ画像に著しく魅了されているらしい。無表情なビスク・ドール然としたモデルがそれらに身を包みポーズをとっている。ディヴァイン・イーストウッド、ヒラリー・タンブル・スイート、エドワーディアン・メイデン、この聞き慣れぬ仰々しい単語がロリータ・ファッションとやらを扱う店の名を意味するものだということが彼にもなんとなくはのみこめた。

ひどく熱心な「それ」の姿を見ているうち、彼には唐突にその服を買って与えたいという衝動が湧き上がってきた。なぜか「それ」とロリータ服という奇妙な取り合わせが、何かの示唆であるような気がしたのだ。結構な値段の付いたそのデコラティヴな服一式を、適当なサイズにて注文してやる。

黒レースがこれでもかというほどついた葉牡丹のお化けのようなフリルドレスが届くと、「それ」は小躍りして喜んだ。早速着てみせるのだが――当然とはいえ、本人の深く愛するものがまったく、これっぽっちも、ほんのひとっかけらも似合わない、というのは残酷な喜劇ではないだろうか。鏡に映った事実を認識するや否や、急激に消沈するさまがわかった。だしぬけにドレスを脱ぎ捨てようと「それ」は激しくもがいた。

似合わない。こんなにきれいで素敵で、着たいものが、自分には醜悪なほど似合わない。

おそらく悲憤に歪んでいるであろう「それ」の顔の暗黒に向かって彼は言った。

似合わなくたっていいじゃないか。その服が好きなんだろ? それでOKだ。胸を張って外に出ろ。誰がおまえの黒さを指さして笑おうが、目をむいて驚こうが大丈夫、だってそれはおまえの――
彼は確信をもって言った。
 
おまえの「戦闘服」なんだから。

そして小さな声でつけ加える。
汚レタラ洗イニ戻ルガイイ。



彼の言葉は届くのか?


「それ」はその場で凍りつき、下を向き、そして泣いた。いやたぶん、泣いた。

それ

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