テーマ:一人暮らし

9階から見える景色

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「……こんなところで、何してるんですか?」
早くどっかに行って欲しいという願いを込めて言った言葉はどうやらおじさんには伝わらなかったらしい。
「今日は満月で禁漁だから船の様子だけ見に来たのさ」
「はぁ」
「大事な相棒だからな。手ぇかけてやんねぇとな」
おじさんの視線の先には船がプカプカ浮かぶ港があった。
「なんで満月の日は禁漁なんですか?」
「そりゃぁ、過ぎたるは及ばざるがごとしってやつよ」
「……はぁ?」
わけがわからず相槌を打っていたら、おじさんに「おねぇちゃん、そうやって解ったふりして相槌打つの、失礼だぞ?」と説教を食らった。
「いっくら海が広いって言ってもな、毎日毎日根こそぎ捕ってたら魚なんかあっという間に居なくなっちまうんだよ。だから、漁協で満月の夜は禁止なわけさ」
「へぇ……」
訊いておいてなんだが、大して興味が無くなってしまった私がまた適当な相槌を打っていると、おじさんは窓ガラスに顔を近づけてじっとこちらを覗き込んできた。
「おねぇちゃんだって、いっくら好きな彼氏にも毎日会ってたら飽きんだろ?」
彼氏はともかくとして、いっつも会ってたら、という言葉がピカリと光って見えたような気がした。
「何事も八文目がいいだろ?」
タバコをもみ消し、ありがとな、と手を振るおじさんをぼんやり見送る。
ちょっとサボりながら生きるということを良しとする感覚がわかるようなわからないような。多分、弟はどちらかというとそういうタイプだ。
ぼこぼこ長靴を鳴らして歩くおじさんの後姿はふわふわ波に揺れる小さな船によく似ている。その歩き方が弟や、ひいては父に似ているような気がしてしまった。

謝らなくては。私が姉なのだから。
帰り道は行きよりもずっと早かった。ノロノロと渡った遮断機も、軽く一時停止をする程度でサッサと通り抜けた。
いつもの駐車スペースに車を置き、部屋に向かう。エレベーターの張り紙が気まずかったので見ないようにし、うつむき加減で部屋の扉の前に向かった。
扉の前に立つと、中に誰も居ないだろうことに気付いてしまった。騒がしい音楽が聞こえなかっただけではなく、なんだかドアの向こうに人気が無い。
ふっと小さなため息が漏れた。力無く鍵を開けて、ノロノロと中に入る。
ガラン、とした1DKはなんだか寒々しい。

遅かった。踏ん切りをつけるのが。

そりゃそうだろう。あれだけ好き放題言われて部屋に残るほど弟だって馬鹿じゃない。あそこまで言わなくてもよかったのに。

9階から見える景色

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