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「……『インフルエンザには藤井医院』」
「おもしろくない? ここのアパートの住人っておかしいのね」
 藤井医院はアパートのすぐ裏手の、構えが小ぎれいな病院だ。入ったことはない。確かに変わったアカウント名だ。けれども、近くだし、そこのwi-fiがここへも届いたのではないか。
「アパートの住人とは限らないよ」
「ううん、たぶん、ここの人なんじゃないかな。だってさ、先週来たときは『レストランミカドおすすめはハンバーグ』だったのよ。今日見たら、それがなくて藤井医院って変わってるんだもん。そんなことする人、二人もいないわよ。アパートじゃないにしても、この近くの人よね。ご近所情報を人知れず発信しているのね、おもしろいじゃない」
 そういうことだったのか。
 これまでの来客が、近所の情報をおしえてくれた理由がわかった。
 wi-fiにつなごうとして、この情報を見たんだ。全員が全員、おしえてくれたわけでもない。wi-fiにつないでアカウントを確認した人が、これを見て話していたのか。
 ただ、このアカウントが誰のものかはわからない。
 wi-fiの範囲内だから、そう遠くないはずだ。アパートの住民か、隣近所か。
 僕の考えを読むように、晴美が言った。
「発信してる人、探そうよ!」
「えっ?」
「インフルエンザ、インフルエンザ……。アパートの人で最近、マスクしていた人いない?」
「アパートの住人を、気をつけて見てはいないよ。そうじゃない? マスクしてる人なんてたくさんいるし」
「何かヒントがあればいいのに。こういうのって、ミステリーみたいでいいね」
「ミステリー好きなの?」
 僕が聞く。
「インフルエンザの人がいなきゃ始まらないかな。まっ、仕事よね。私、用事があるの。さあ、やりましょう。昨日できなかったんだから」
 問いかけは無視され、彼女は一方的に話を打ち切った。
 仕事を始めると、企画書は二時間で仕上がった。
 彼女は自分の用事に間に合わせるために、まさにビジネスライクに仕事をこなした。「終わったし、行くわ」と余韻もない。
 玄関を出て、アパートの階段を下りると、今日もまた少年がバットを振っていた。
 少年はマスクをしていた。
 彼女は振り返って僕に笑いかける。ほらね、という顔。
「インフルエンザ?」
 彼女が少年に聞く。
 少年は驚きながら、「あっ、は、はい。もう治りかけているけど……」と話す。
「ふふ、お大事にね」
 彼女は僕の先をすたすたと駅へ向かって歩き出す。

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