wi-fiにのせて
僕の住むアパートは最寄り駅から十五分。目抜き通りを突っ切って、横道に一本入った住宅街にある。レストランミカドはさらに駅から離れるように三分ほど歩く。二車線の通り沿いにある。
窓ガラスのシルクスクリーンが強くかすれて、店内をのぞきやすい。
お客は僕らのほかにはいなかった。
オーダーを聞きにきた中年女性に二人分のハンバーグセットを、晴美がビールを二瓶頼む。僕は仕事をあきらめた。仕事より、お酒を飲みたい気分なのかもしれない。
ビールを飲み切ると、ちょうどいい頃合いにハンバーグが来た。ハンバーグは箸で触れるだけで、湯気が立つほどの肉汁があふれだした。彼女は付け合わせの人参を食べ、「この人参がハンバーグの味を引き立たせてるのね、人参のグラッチェね」とつまらないシャレを言う。
「美味しいのねえ」
彼女はこの店に来たことはないようだ。
「そうなんだよ」
「うん、ホントだったんだね」
誰か知り合いからでも聞いたのかもしれない。
結局、そのまま飲み続けた。二十三時の閉店と同時に店を出た。彼女を駅まで送る。
僕はマジメに仕事の話を切り出した。企画書の締め切りは迫っている。
「明日やらない? 片橋くんの家に行くからさ。私、ドキュメントケース、片橋くんの家に忘れちゃったのよ。だから取りに行きたいの」
断る理由は、僕にはない。こんな気ままな彼女のことを、僕は気になっているのだ。
翌日の土曜日。十四時に彼女が来た。
私服の彼女を見れると思い、浮足立ったが、ドアを開ければパンツスーツ姿になんだかがっかりもした。
晴美は早速、ノートパソコンを取り出し、資料を広げる。
昨日と打って変わった様子に、僕は半ば焦った。
俺も仕事に切り替えないと――と、思っていたとき、
「私、片橋くんの家に来るの楽しみになっちゃった」
セリフと声の大きさに、どきりとする。
焦って、返す言葉がどもる。
「ねえ、藤井医院っていうのは、そんなにいいお医者なの?」
「藤井医院?」
僕が驚くと同時に、隣から壁が叩かれた。トントン。
声をひそめる。
「もう少し小さい声で話してくれるかな。ちょっとさ、隣のおじいさんが音に敏感で」
「ごめんなさい。でも、すごいじゃない、ここ」
「さっきから何の話?」
「wi-fiのアカウントよ」
そう言って、彼女はスマホを突き出してきた。
画面を覗くと、wi-fiの接続画面である。意味のないアルファベットの羅列が続く中、一つだけ仮名がある。
wi-fiにのせて