テーマ:お隣さん

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 来客は、近所の情報を話してくる。
「時永神社の祭りは十時から」
「高山小学校の新しい校長はA社出身」
「スニーカーは燃えるゴミ」
 などなど。
 知っている情報もあったが、知らない情報も少なくなかった。
 みんな、遠くに住み、この町のことなんて知らなかった。東京二十三区にあるが、最寄駅が素直に伝わったことすら一度もない。
 しかし、どこでいつ知ったのか、彼らは近所の情報をおしえてくれる。それもとても小さな情報だ。
 石田晴美が話したのはハンバーグだった。
 僕は営業先から直帰し十八時には家にいた。「家にいるけど、いつでも外出れるよ。」と晴美へLINEを送ると、すぐに返事がきた。「片橋くんちで作業しよう。どこにライバル会社の社員がいるか分かんないから。」
 代表企画者は晴美だ。掃除機はかけてある。洗濯物もしまってある。洗い物もない。
 三十分くらいでチャイムが鳴った。
 ドアを開けると、晴美は挨拶もそこそこに
「ああ、疲れたわあ」
 と中へ入ってくる。
「ちょっと声落として、隣が」
 僕は声をひそめて注意する。隣には、気難しい高齢男性が住む。ちょっとでもテレビのボリュームが大きいと、すぐに壁を叩かれる。
 晴美は「ごめんごめん」と謝るが、あまり声が小さくなっていない。
 とても初めて家にあがるとは思えないが、気安く感じてもらえているなら悪い気はしない。
「ねえ、wi-fi使わせてくれない? 私の電池切れちゃったのよ」
「ああ、いいよ」
「パスワードは?」
 僕はパスワードをおしえた。減るもんでもない。
 スマホをいじる彼女を横目に僕はヤカンに水を入れる。
「レストランミカドって美味しいの?」
「ハンバーグが美味いよ」
「ホントなのね」
 何が本当なのか曖昧なまま、僕はうなずく。
 レストランミカドは近所の小さな洋食屋だ。
「『レストランミカドおすすめはハンバーグ』ね」
 みんな、こうして僕に近所の情報をおしえてくる。
 僕は彼女に聞いた。
「知ってるの?」
「よし、そこ行こう! 晩ご飯は? 食べてないでしょ? じゃあ、行こう。仕事? 後だよ。腹が減っては仕事もできないよ」
 彼女は強引に話を決めた。玄関へ向かう彼女に遅れないように、あわてて沸かしかけたヤカンの火を止める。
 パーカーを羽織る。実際、腹は減っていた。
 初夏の夕暮れで、外は涼しい風が吹いていた。
 アパートの中庭では、小学生低学年くらいの少年がバットを振っている。
 住み込みの管理人の一人息子だ。毎晩のように、バットを振っている。たまに、ユニフォームを着ていることもあるから、どこかのチームに所属しているのだろう。素人目にも下手なスイングだ。小さな身体のわりにバットが大きい。

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