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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 彼は頭を下げて、ドアの向こうに消えた。

 後日、清子さんからお詫びのお菓子を貰った。その時に清子さんが「高橋君って案外良い子なのね」と言っていた。
 そんなことが起きてから、少しだけ変化があった。「最近起こった良いこと」に、皆が本当のことを書き出したのだ。高橋君も。
 梅雨が始まり、そして終わる頃の湿気をふんだんに含んだ空気が肌に粘りつく。前期レポートが徐々に溜まっていき、毎日のようにパソコンに向かっている。今日も、横にコーヒーを携えながらキーボードを忙しなく叩いていた。
 休憩も兼ねて携帯を開き、メールを確認すると珍しく高橋君の名前が並んでいた。タイトルは「緊急連絡」。文字を一ずつなぞって、読み間違いがないことを確認し、正確に素早く開く。最初の一文で心臓が音を立てて波打ち始めた。耳の奥で音がした。
「皆さん、大家さんが緊急入院しました。病名は急性心不全です。病院は江田病院で、3階A棟の302号室に入院しています。面会受付時間は19時までなので、お見舞いに行ってみて下さい。また、手術が必要だそうで、追って連絡します。それにともなって不安事項が一つあるので今週の土日にでも皆さんと話し合いたいです。お忙しいとは思いますが空いている日時を教えてください」
 携帯を持つ手がわずかに震えた。
 日取りは案外早く決まり、日曜の昼、近くのファミレスで集まることになった。
 わずかに重い空気をグラスをあおってごまかす。隣に座る高橋君もグラスを手に取った。休日の昼間のファミレスは閑散としていて、窓から絶え間なく差し込む陽が、私たちの気持ちを知ってか知らずか、グラスの中の水を、机を、そこら中を暖めている。
「大家さんのことですが、医者によると入院が長引きそうで、短く見積もって三ヶ月だそうです」
 ハルさんは極彩の緑色の飲み物をストローで気だるげに回してる。その様子をモタイさんが意味ありげな目線を送っている。
「ねえ、なんで高橋君が伝達役してるの?」
 ハルさんの手元で回る、悠々とした液体とは裏腹に口調は鋭かった。一瞬、空気が跳ねて皆の思うことが一つになった。
「まだ説明してなかったんですけど」
「あと敬語じゃなくていいよ」
 モタイさんが肘でハルさんをつつく。
「……俺、大家の孫なんです」
 あっ。私の肩が僅かに上がり、顔にも表れていたのだろう。高橋君が頷き返した。
「俺の両親は離婚してて、どっちの家にも行きたくなかったからおばあちゃんに融通効かせて貰ってアパートに住むことになった……んです」

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