お隣さん
「おかえりー」
ハルさんが快く声を掛けてくれた。ハルさんはいかにも芸術家らしく髪の毛の先をピンクに染めている。いつもと同じ、首からは一眼を下げている。モタイさんも緩く手を上げて、私を拒んでいないことを表している。高橋くんは一瞬顔を固めたが、すぐ後に頭を下げた。私はまたもや洗濯物が溜まっていることに気づいて、その場を立ち去ろうとした。
「ねえ知ってる? 高橋くんってまだ十七歳なんだって」
わかーいとハルさんとモタイさんははしゃいでいる。私は「歓迎会はやらなくていい」と言った時の彼の顔を思い出していた。二人は歓迎会が無くなったことを少しも気にしていないようで、私の返事も待たずに次の話題を繰り出す。
「私何歳に見える?」
ハルさんが高橋くんを覗き込んだ。自分の顔を晒すことに少しも躊躇してない。
「二十……二、三?」
「えーそんないっているように見える?」
彼は「えっ」と言って、手を頭に持って行き人差し指で繊細な髪の束を裂き、そして揺らした。モタイさんは背中の筋肉を丸めて、高橋くんを見守っている。
「二十一ですか……?」
「えー十九だよ!」
「えっ」
「嘘だよ、二十五のばばあだよ、よろしくね」
ハルさんはピンク色の腕時計を見て、「あ、バイト行かなきゃ、じゃまたね」と言って潔く外に繰り出した。「じゃ俺も」とモタイさんも部屋に帰って行き、気まずく、静かに私たちもドアを閉めた。
その日の深夜のことだった。うっかり忘れていたレポートを書いていたら、突然インターホンが部屋中、いや建物全体に響き渡った。私はキーボードを打つ手を止めた。耳の淵で脈を打つ血液の流れを感じる。私の部屋ではない。隣の部屋からだ。何やら物音と人の声がしばらく聞こえて静かになった。そして今度こそ、私の部屋のインターホンが鳴った。音は最後まで震えて、最後は雑音混じりに切れる。
こんな時間になんなんだろう。さっきの話し声は高橋くんが夜中の来客に応対したんだ。彼が出てその後私のところに来るのを許すってことは危ない人ではないはずだ。
音を立てないように椅子を引き、立ち上がる。膝の関節がこすれ合う。慎重に玄関の明かりを点け、ドアに近づく。もう一度インターホンが鳴る。
「古川さん、起きてますか」
私が覗き窓を見る前に、くぐもった声が聞こえてきた。外の廊下に声が響いている。響いた音は夜の乾燥した空気に吸い込まれる。
「高橋です。起きてたらドア開けてください」
お隣さん