お隣さん
ドアの取手に手をかけ、外に押し出すと物がぶつかる音がした。またやって来た。内側に取り付けられた郵便受けの中に回覧板が入っているのだ。薄いドアを引っ張って閉め、回覧板を取り出す。表紙を覆う布が所々ほつれ、「さくらアパート 回覧板」と書かれた文字も擦れて薄くなっている。中を開くと左側に来月のお知らせが記されたプリントが、右側に曜日別のゴミ出し表などが記載されてあるプリントがバインダーでしっかり挟まれている。左側のプリントを取った確認に、右側のプリントにサインと、「最近起こった良いこと」を書かなくてはならないのだ。おばあちゃん大家の意図あってのことだ。回覧板自体が大家の意向とも言える。本来なら大家がプリントをポストに入れれば良いだけのこと。住居人何同士が仲良くなって欲しい。だから皆で回す回覧板を採用したのだ。
けれど、この「最近起こった良いこと」を書く欄に本心から書く優しい住居人はいない。大抵、「晴れていて良かった」とか、「近所の猫が可愛かった」とか「お給料が入りました」とかそんなのばかりだ。回覧板があるばかりに、住居人同士で願ってもない繋がりができてしまい、それを一緒に住んでいるから無闇に切ることもできず、二進も三進もいかなくなったのだ。
回覧板が回ってくる度に少しだけうんざりしては、人の良い大家さんの顔を思い出して罪悪感に悩まされる。仕方なく開くと、今月のお知らせは普段と違った。「四月の十五日(予定)に新しい入居者が来ます。お部屋は春香さんのお隣にしようと思います。問題無ければ、電話か、メールにご一報下さい。また、歓迎会を行いたいと思います。まだ予定は分からないと思いますが四月十五日から五月の間で空いている日を書き込んで下さいますと助かります。倉橋」。別にこんなこと最初からメールで知らせてくれれば良いのに。どうして大家さんは回りくどい伝達方法をするんだろうか。以前に一階に住む社会人の清子さんに聞いたことがある。「仕方ないのよ。おばあちゃんだから。大家さんなりに私たちに寄り添ってくれてるんだと思うよ」と目の下の隈をより一層濃くしながら言っていた。……この人疲れているんだな。その方法が間違っていることに気づいていない。でも、その間違いに気づいていても何もしない私の方が質が悪い。
壁に寄りかかり、手に持っていたスマホで大家さんに早速メールを打つ。自然光が入り込まない玄関に人工の目を刺すような光が広がる。「新しい住居人さんの件、お隣の部屋で大丈夫です」。画面左上を軽く触れ、回覧板を床に置いてから再びドアを押す。一瞬の間、外からの光が玄関を突き抜け、部屋の奥の壁にまで直線的に切り込む。外は明るかったが、空は雨をふんだんに含んだ色の悪い雲が広がっていた。隣の空き部屋のドアに目を遣り、どんな人が来るんだろうと想像した。通路を端まで歩き、白い床に目立つ汚れを踏みながら階段を降りる。手すりの塗装が剥がれたところから赤錆が覗いている。足音と階段が軋む音しか聞こえない。ここには私しか住んでいないのではないかと階段を下りる度に錯覚する。共用のゴミ置場には、相変わらずコンクリートと用無しの網が広がっているだけで、カラスさえもやってこない。
お隣さん