夢のあと
あの野っぱらのススキは刈り取られ、小学校が建ったそうです。「わかば小学校」の生徒は、もちろん「わかばニュータウン」の子供たちです。ななことたけるも、毎朝ランドセルを背負い、ななこは駆け足で公園を突っ切り、たけるは遊歩道を歩いて、小学校へ通っていました。運動会やら親子ドッジボール大会、夏休みラジオ体操、サッカー教室なんかが催され、年中、賑やかなかけ声やホイッスルが、マンションの向こう側から響いてきました。
なかでも縁日は、わかばニュータウン最大のイベントでした。日が暮れると、それぞれの階へひっこんでしまう子供たちも、この日ばかりは特別です。お祭りですもの。
公園はぐるりとちょうちんで飾られて、盆踊りのやぐらが組まれ、わたあめや金魚すくいの出店が連なり、ほっぺたを真っ赤にした子供たちが、すっかり着くずれた浴衣にぞうりをぺたぺた鳴らし、夜になっても公園中をかけまわるのです。それは素敵なことでした。「泣き虫たける、泣き虫たける」、と蛍光色に光るおもちゃの剣を手にしたいじめっこたちを、両手にヨーヨーとスーパーボールをいっぱいに抱えたななことその一味が、返り討ちにします。ななこの金魚のような赤いリボンが、ひらりとほどけて落ちました。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったたけるが、浴衣のたもとで顔を拭いていると、ななこが綿あめを突き出しました。
クライマックスは、花火です。ジグザグに切り取られた夜空の中に赤や緑やあめ色の花火が次々に開き、金属の斜面を震わせる大音響、そして歓声。マンションの高い階のベランダは、花火を見上げるには絶好のスポットでした。私は、最後の最後の「大玉50連発!」を眺めながら、いつか星からきいた、「超新星爆発」に思いを馳せたりするのでした。
縁日の翌日、破れたちょうちんは取り外され、やぐらは解体され、団地はいつもの団地に戻ります。燃えカスになった花火が、私の斜面に落ちていたりしました。ななこが落としていった色とりどりのりぼんをこっそりとおなかに抱え、私は心のなかで、「夢のあと」と思いました。
ある日、私は気がつきました。少しずつではありますが、何かが変わってきているようなのです。私は相変わらずすべり台なのですが、公園で遊ぶ子供たちが減ったような気がします。たけるは、この夏ぐんと背が伸び、私の下にもぐりこむことができなくなってしまいました。ななこも最近、「噴水大爆発」をやりません。一着しかないセーラー服がびしょ濡れになってしまうのは困りますからね。そう、ななこもたけるも小学校を卒業し、電車で中学校へ通っているのです。最近、ななこは、りぼんを落としていきません。ふたりの姿をみられないのはさびしいですが、また新しい子供たちがやってきて、楽しい時間が繰り返される……そう、私は信じていました。
夢のあと