テーマ:ご当地物語 / 箱根

すぐりの卵

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 私も一つもらうかな、とお義父さんはたまごを手に取った。
「善明くん、それ食わないなら俺にちょうだい」
 檀くんが言った。
「食べ過ぎじゃないか? コレステロールが高くなるぞ」
と止めるけれど
「若いからへーき」
檀くんは悪戯っぽく笑った。
「今日だけで二十八歳も寿命が延びるなら、儲けものだよ」
握っていたたまごを渡すと、ふっと肩の力が抜けて、なんだか泣きたいような気持になった。車酔いのせいかもしれない。
「すいません。ちょっと外出てきます」
「はいよー」
外へ出て深呼吸を繰り返す内に、気持ちが落ち着いてきた。
 少し歩きながら売店の中に目をやると、すぐりの姿が見えた。なつめさんはどこへ行ってしまったのか、一人で土産物を見ている。そう思った瞬間、すぐりの腰の辺りでなにかが動いた。
 表情の固まったすぐりと、幼い少女が手を繋いで歩いている。
 鼓動が早くなる。まずい。まさかとは思うけど、塞ぎ込んでおかしくなってしまったのか。土産物屋に近い自動ドアから売店に駆け込む。駄目だ。その子は、君の子じゃない。そんなことをしては駄目だ!
 店に入った途端、子どもにぶつかりそうになった。
「わ、ごめん」
反射的に避け、すぐりに駆け寄ろうとして足を止めた。呆然と立ち尽くすすぐりの手は、空っぽだった。少女はいない。
店内に、そして、店の外にも目を凝らす。それらしき姿は見えない。 腰の辺りでなびいた黒髪の残像にはっとする。
 唐突に訳も分からない喪失感がどっと押し寄せてきた。あの子は、あの子はどこに行った?  胸の壁を内側からがんがん叩く、心臓の音がうるさい。
「なんだぁ? こんなところに突っ立って。危ねえな」
 自動ドア前に立ち尽くす僕に悪態を吐き、チャラチャラした金髪の若い男とその息子らしき少年が通り過ぎていく。少年はこちらを振り返って、べえと舌を出した。すいません、と呟いて、外に出る。
肩を叩かれた。
「よしくん」
 すぐりだった。
「ねえ、見た?」
 闇夜みたいに真っ黒の瞳は、揺れていた。小さく頷く。
「良かったあ。夢じゃないよね。」
 心底ほっとしたという様子でそう言った。
「驚いたよ。あの子ね、急に私の手を握ったの」
そうか、別にすぐりが少女をどうこうしようとしたわけではないのか、と分かったけれど、鼓動はちっとも落ち着かない。
 すぐりはゆっくり、一言一言確かめるように言葉を発した。
「私、どうしたらいいか分からなかった。迷子かと思ったけど、泣きもしないの。安心しきってる感じなの。まさか知らない人の手を握ってるなんて思わないみたいな顔して」

すぐりの卵

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