初夏のわたがし
あのひとがすきだ。
お風呂から出て、からだを拭いて、ふかふかのタオルを頭にかぶったとき、声に出して言ってみた。からだぜんぶが、わたがしになってしまったような気分だった。光をうけて、なごりの砂糖がきらきらと輝く。
ひとりで生きていきたい。いつまでも平穏に、からっと楽しく、あらゆる世俗の苦しみから逃れて、仙人みたいに生きていきたい。
そう思ったのは高校一年のとき。それからこつこつ計画をたてて、お金を貯めて、大学進学のタイミングで念願の一人暮らしを手に入れた。
ひとりで生きていきたいと思ったきっかけは、生涯一緒だと誓っていた幼なじみとの別れ。あまりにも凡庸だから、言葉では表現したくないけど、事実なんだから、しょうがない。
今でも思い出すと、少しだけ息がとまる。
魂の半身だね、と。どこかで見つけた言葉で、幼く、睦み合っていた。
どこからが私で、どこからが相手かわからなくなるくらい、たくさんのことを話した。別れてしばらく経っても、ふとした瞬間に、「今考えていることは、本当に自分が考えていることなんだろうか?」という思いがよぎった。
狂ってしまいたかった。私にだけ見える幼なじみと話し込んで一日を過ごしたいと切望した。けれど私は正常で、健康で、家族仲も良く、あらゆる素質にもそれなりに恵まれていた。狂いたくても、投げやりになりたくても、できなかった。名前をつけて数えることのできるものは全て、いいものばかりだった。そういう意味で、私は「幸福な子」以外の何者でもなかった。感情の色の名前を十二色くらいしか知らなかった私は、その頃の複雑な苦しみを理解するほど成熟してはおらず、わけのわからない苦しみを認識することもできないまま、「ひとりで生きていきたい」とだけ思って日々を過ごしていた。
幼い頃、私は完全に幸福だったのに、魂の半身と出会ったことで、半分になってしまった。完全だったのに、半分になり、それでも二人でいれば完全だったのに、切り離されて残ったのは、ただの半分の私。そんなことってある? と思った。
あまりにも理不尽だ。もう二度と「半分」になんか、なるもんか。
苦しみと違って、怒りは認識しやすかった。だから私は、そのふつふつとした怒りをもくもくと食べながら、一心不乱に「ひとり」を目指して大人になった。
「色も型もデザインもサイズも、ありえないほど注文つけて、裸足をぶらぶらさせながら、ずっと椅子にすわってたの」
初夏のわたがし