テーマ:一人暮らし

まぶたの裏のトワイライトゾーン

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 しばらくして、やはりそいつは現れた。先っぽへいくにつれて細長くなっていく触手には、その部分の太さに応じた大きさの吸盤が行儀よく並んでおり、その吸盤はびっしりと触毛のようなもので覆われていた。それは、タコの足を思わせたが、表面は金属のような黄金色の光沢を放っており、風格があった。
 (……しい)
 かすかに声が聞こえた気がして、ぼくは耳を澄ました。はじめ、部屋の外の音かと思った。しかし、それはまぶたの裏から響いてきているようだ。
 (さびしい)
 と、声は言っているようだった。まさか、こいつが? まぶたの裏にたゆたう黄金色の触手のさきっぽを睨む。うねる触手は、みるみる二本になり、三本になり……。
 次の瞬間、ぼくはひぃっと声にならない悲鳴をあげた。だんだんと増えてゆく触手の間から、大きな目玉がぎょろりとのぞいたからだ。目があったとたん、触手が梅の花のようにガバッと開いた。少し前まで悠々とうねっていたとは思えない、目にもとまらぬ速さだった。ぼくはまるで大きな手の平に握り潰されたような恐怖を感じ、目を開けた。
 いつもの見慣れた天井だ。遮光カーテンのすき間からは、昼の光がうっすらともれている。手の平も、背中も、冷たい汗でびっしょりだ。ぼくはおそるおそる、慎重にまばたきをしてみた。触手も、目玉も、見当たらない。息を整えてから、ふとあの光沢のある触手とでかい目玉に見覚えがあるような気がして、パソコンの履歴を開いた。
 「やっぱり」
 ぼくは声に出して言った。
 「ダイオウイカだ」
 自分の声が、まるで水の中にいるかのようにくぐもって耳に届き、ぼくは咳払いをした。
 ダイオウイカは、大西洋やハワイ沖、日本では小笠原諸島の深海に生息している、巨大イカだ。目撃情報はほとんどなく、生態は謎。でっかい目玉は、世界最大級だという。まさに、トワイライトゾーンに生息する、深海の生物だ。
 あの「さびしい」という声がやけに耳に残る。遮光カーテン越しの光は茜色で、外は夕焼けのようだった。子供たちの「ばいばーい」「また明日ね」と言い合う声があちらからもこちらからも聞こえてくる。みんな、帰る時間だ。ぼくはどこへも出かけないかわりに、どこへも帰れない。そのうち玄関のチャイムが鳴り、宅配BOXにごとりと荷物が入れられる音が響くだろう。

 あいつは、またもまぶたの裏に現れた。
 今度は、まず触手のかわりに、ヨットの帆のような形のひれが見えた。それは、ダイオウイカの体長には釣り合わないほどこぶりで、ひらひらと頼よるべなく、はかない薄っぺらさだった。それと同じくらい、消えてしまいそうな声が響く。

まぶたの裏のトワイライトゾーン

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