テーマ:一人暮らし

十月の訪問者

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「ねえ……、夕飯の買い物なんかはどこでしてるの?」
「駅とは反対方向に歩いて二十分のところにスーパーがあるから」
「二十分? だいぶ遠いのねえ」
「品ぞろえも価格も、正直微妙ね。ま、ないよりはいいけど。さくらマートの方がずっといいわ」
さくらマートというのは実家の目の前にあるスーパーマーケットのことだ。
「いまのアパートを決めるとき、スーパーのことなんて全然頭になかったの。立地とか家賃とか日当たりなんかに気をとられてたから」
この調子なら、外食三昧かコンビニ弁当ばかりかのどちらかだろう。やはり手料理を差し入れに持ってきてよかった。
背後でクラクションが鳴らされ、明子はあわてて佐保の後ろにぴったりとくっつく。
「道が狭いのねえ」
「この辺はどこもこんな感じ。あっちとは大違いよね」十月にしては暖かい日だった。前を行く佐保の髪が午後の光に淡く浮かび上がる。
人見知りしない赤ん坊だった佐保は、さくらマートの人気者だった。買い物に出てきているご近所さんたちが、かわるがわるベビーカーをのぞき込んでは「さっちゃん、今日もご機嫌ね」「あらあら、笑ってるわ」などと嬉しそうに声を掛けてくれたものだった。あれから二十年。月日はあっという間に流れた。いまでは社会人となり、一人暮しまでしているのだから、子どもの成長はものすごく早い。

「正面に公園があるでしょ。その脇にあるのが、私のアパート」
「あらま……」
二の句が継げないでいる明子を見て、佐保が満足気に頷く。
「立派でしょ? 住み心地だってなかなかのものよ」
アパートという響きから、なんとなく錆びた鉄の階段や、すすけた外壁の粗末な住まいを想像していた。ところが目の前に佇むのは、薄いブラウンが美しい石積みの建物だ。どことなくヨーロッパの建築物のような趣がある。エントランスのガラス扉を開けて中に入り、佐保が郵便受けをチェックする。ふと、隅に設置されたロッカーのようなものが明子の目に留まった。これは宅配ボックスと言うのだと佐保が教えてくれる。
「不在の時、郵便受けに入らないサイズの荷物はここに入れておいてくれるの。再配達を手配する手間が省けて、便利よ」

 そういえば、佐保は実家に住んでいたころ、通販で大量の化粧品を買い込んでは、明子に受け取りを任せていた。「明日届くから、お母さんお願いね」と頼まれ、外出せずに荷物を待ったことは、一度や二度ではない。なるほど、いまその役目はこの宅配ボックスに変わったというわけか。

十月の訪問者

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