ナイト
これからはうっかり窓を開けられないな、と不便さを感じながらも、そのかすかな緊張感に心地よさも感じていた。
私は少しだけ早起きになった。寝起きのまま窓を開けたりはせず、身だしなみを整えてから朝の風を部屋に迎え入れるようになった。
拓馬くんはあの縁側のある部屋が割り当てられているらしく、毎朝の挨拶が日課になった。なにかの都合で彼が姿を現さない朝があると、その日は一日中彼のことが気になって仕方ない。それほどに拓馬くんの存在は私の日常に溶け込んでいた。
拓馬くんは朝に晩によく野良猫に話しかけている。私は見かけたことがないから、その猫は拓馬くんにだけ懐いているということなのだろう。ナイトがいた頃は猫であれば気になって仕方がなかったけれど、今はまだほかの猫に会って冷静でいられる自信がない。その野良猫もそんな私の心情を察していて姿を見せないのではないかなどと考えてみたりもする。
「ただいま、ナイト」
部屋の電気をつけるよりも先に、陶器の壺に向かってやさしく声をかける。写真のナイトは今夜も澄ました顔で佇んでいる。窓から差し込む月の明るさが私の目に映すのか、記憶の中の姿が目に映っているのか判然としない。ただ明かりのない部屋では一層ナイトの気配が濃くなる。もういるはずのない彼の気配がする。漆黒の毛並と緑の瞳、かぎしっぽにハート形のホワイトスポット。足元にスリスリとまとわりついたときのやわらかさ。甦る。暗闇の中で失われた命を近くに感じる。
「あ。もう行くの? ばいばい」
拓馬くんの囁くような声が聞こえる。また野良猫と話しているのだろう。一度くらいは姿を見てみようと、部屋の明かりはつけないままに足音を忍ばせて窓に近づく。
物音をたてないようにそうっと窓を開けたのに、猫は敏感に察知し、ガサガサッとどこかの葉が揺れる音がした。黒い影が私の足元から部屋へと滑り込んだ。え? 野良猫がうちに? 自分から飛び込んではきたものの、我に返った時はさぞかし焦るだろう。私は素早く猫が外に出られるように窓を全開にしてから室内をくまなく探した。けれども猫の姿はどこにもなかった。私が知らないうちに外にもどったらしい。その姿をひとめ見ようと私は庭におりる。部屋の明かりをつけていないから庭は闇に沈んでいる。猫の姿など見つからない。
「こんばんは」
抑えた声が降ってくる。
「こんばんは」
私も静かに挨拶を返す。
「なにか探し物ですか?」
「いえ。さっき拓馬くんが猫と話していたでしょう?」
ナイト